海を、描く(亡国のイージス)
仙石さんと天才画家・克美(笑)エンディングのネタバレし放題なので、未読の方は遠慮された方がよろしいかと思われます。
一番好きな福井晴敏作品は「終戦のローレライ」ですが、読了感はイージスの方が爽やかでいいと思います。映画ではどこまで再現してくれるのかとっても楽しみ!ところでよく間違われるんですが、私が一番すきなのは如月じゃなくて渥美さんです。渥美さんラブ!
プロの絵描きに対してこんな感想もないもんだと苦笑しながら、しかし仙石は素直に「こいつぁ上手いな」と呟いた。
砂浜に置かれたキャンバスに描かれているのは何の変哲もない砂浜と海。想像力を駆使した芸術といったものとは違い、ただ漠然とそこにあるものを写し取ったものだった。
仙石はそれを数メートルほど離れた場所で見ていた。作者の姿は今のところ見当たらない。こんな所に仕事道具を置きっぱなしにするのは同じレベルと言わずとも同業者としては一言言ってやりたい思いもあったが、そんなことをしてもヤツの態度が変わるはずがなく。そこまでに考えが至ると、仙石は呆れたように溜息をついた。
「それにしても上手い」
同じ感想が口をついて出る。それは、見たまま感じたままの感想だった。
キャンバスの描かれた海の青は絶妙な明暗を表現しており、静かに跳ねる白波の光ひとつひとつまでもが鮮明だ。その波が寄せる浜辺は仙石の靴の半分ほどを埋めている白い砂とまったく同じ質感で描かれていて、キャンバスに砂浜そのものを貼り付けたのではないかと思わせるほどだ。
仙石の位置から見えるキャンバスは、まさに視界と同化している。
「キャンバスと風景の境界がねえじゃねぇか」
ふむふむと頷きながら、しかし仙石はそれ以上キャンバスに寄ろうとはしなかった。ここから一歩踏み出しただけで、その境界は崩れてしまう。一見すれば非常に上手なスケッチ画だが、これはやはり計算され尽くした芸術なのだ。
「――やっぱりプロは違うもんだな」
「何をいまさら」
憮然とした声が背後からして、仙石は心臓が飛び出そうになる感覚を味わった。
「お、お前! 気配を絶って近づくのやめろ!」
「別にそんなことはしていない。あんたの感覚が鈍ってるんじゃないのか?」
心底ばかにしたような表情で仙石の脇を通りすぎてゆくのは、他でもないあのキャンバスの持ち主であり、絵の作者である。
「おい、行」
「その場所がこの絵を見るのに一番いいんだ。よく気づいたな」
行がキャンバスに手をかけ、振り返る。その拍子にひとつに結わえられた髪が揺れた。再会したときよりもまた少し伸びた髪はまとめられていても軽いらしく、風が吹けばその流れのままにさらりと音をたてた。
――相変わらず儚いやつだ
仙石はガラにもないことを思った自分に苦笑しつつ、バカにすんなよとおどけてみせた。
「この絵、あんたにやるよ」
「へえ? 前に画廊に行ったときは今をときめく克美さんの絵はとても一般人の手が届くシロモノじゃございませんって言われたぞ」
「絵の価値なんてものは書いた本人が決めるものだ」
至極まじめな顔で、行は言った。
如月行という男はあまり…というよりほとんど笑うことのない男だが、真剣な顔はやはりいつもの感情の見られない仏頂面よりは信用できると思う。へらへら笑う行など、むしろそちらの方が信用できない。
「んじゃー…ありがたく頂戴しますか」
「ああ」
そうしてふっと表情を和らげるのを見て、仙石はあらためて行が生きていることに安堵した。
あの《いそかぜ》の一件で何もかもを失ってしまうには、行はまだ若すぎるのだ。彼はまだまだこれからも世界を吸収し、絵という新しい才能を如何なく発揮してゆくのだろう。
仙石はにっと笑うと大きく身体を伸ばした。
「あーあー俺も年くっちまったな…」
「だから、何をいまさら」
ふたたび呆れ声でばかにし、溜息をつきながら行はキャンバスをスタンドからおろす。
一歩も動かない仙石の場所から見える、何も乗っていないスタンドの上には、先ほどの絵と同じ風景がそのまま広がっていた。
>> DATE :: 2005/06/28 Tue