「やはり私では…」 見上げてくる不安そうな顔に彼は苦笑した。 「何も恐がることはないよ。コレを村で一番偉そうにしてる奴に渡すだけの仕事だから」 コレと呼んだ丸めた書状でと前方を指し、「あの村だよ」と言った。 「僕はこの前行ったここの隣村に用があってね。大丈夫、すぐに迎えにくるから」 「でも……」 「問答無用。 きみももう子供じゃないんだからね」 彼は書状を無理やり渡すと、まだ言い募る彼女の背中をぽんと押した。 ここまで自分を突き離すの珍しいと思ったのか、彼女は仕方ないとばかりに「わかりました」と溜め息をついて村の方へ足を進めた。しかしいやいや歩いているのがバレたのだろうか、入り口近くまで来ると 「セラ、転ばないように気をつけなよ!」 とからかうような声が飛んできた。彼女は振り向いて悔しそうに頬を膨らませた。 「セラがもう子供ではないと言ったのはあなたですよ!」 懐 古 瞑 想 8 デュナン共和国・ハイランド県に位置するこの村は、これといって特徴のない小さな村だった。かつての王都に近いわけでも、しかし離れ過ぎているわけでもない。 一時間も歩かないうちに辿り着く隣の村も同じくらい田舎だが、珍しい石が採れるということでここよりは商人の往来があるらしい。 村の中道を、彼女は息を切らせて走ってきた。 「ねぇねぇ二人とも聞いた? 村長さんが占いを頼んだって!」 転びそうな勢いで駆け寄ってきた彼女に、二人の青年は顔を見合わせて首を傾げた。 「占いぃ? なんでまた…」 「詳しくは知らなーい。 この前トランで有名な占い師に、隣村の村長さんが占ってもらったらしいんだけど」 「あぁここの村長って何かと張り合ってるからな…あそこの村長と」 歯には歯を、目には目を、占いには占いを、ってことか。こんな片田舎でご苦労なことだと、二人は呆れた。 「そうそう、それでね!占い結果はその星占師の弟子って人が持ってきたらしいんだけど、なんでもすっごい美少年だったんだって!」 その人がこの村にも来るかのかな、と彼女は夢を見るように瞳をきらきら輝かせた。 二人は再び顔を見合わせると、盛大な溜め息をついた。 「きみはそんなことを言うためだけに走ってきたのかい? 相変わらずミーハーだね」 失礼しちゃうー!と文句を言う彼女も、数分後には二人を連れて村の入り口に立っていた。 「私が村長さんの家まで案内するんだ〜」 いかにも好奇心丸出しです、という顔で鼻歌を歌っている。 彼女の両脇にいた二人は、げんなりした様子でしゃがみ込んだ。 「なんでこんなに張り切ってるんだろう…」 「ほら、この村って田舎過ぎて旅人なんかもこないじゃないか。 退屈してるんじゃないかな」 「…でも美少年って聞いて喜んでるフシもあるだろ?」 「う、うーん…僕も歳をよく考えろって言ってるんだけどなぁ……」 自然と声が小さくなる。しかしそれくらいで聞き逃したりする彼女ではない。 「なになになに?内緒話??ずるいー何なのよもう〜〜!」 「痛っ! 叩くなよナナ…」 「落ち着けって、あ!ほらほら、あの二人じゃないかい?」 三人とも一斉に指された先の「二人」を見た。村より少し出た先の道で、確かにこの辺りでは見かけない男女二人が何やら話をしている。 少し距離があるため顔はよく確認できないが、大体の仕草や姿かたちで相当な美少年と美少女であることは誰の目にも分かった。あながち彼女の聞いてきた噂は嘘ではないらしい。 「ねぇねぇ、あの二人って恋人同士かなぁ? すっごく仲良さそうな感じだけど」 「いや別に男女二人だからって恋人とは限らないんじゃ…」 「もう、男ってニブイから嫌よ。 あれは絶対恋人だってば!いいな〜美男美女かぁ…」 美少年の話はどこへ行ったのか、彼女は完全に夢を見ているらしい。隣で「おいおい本気か…」と呟く声は全く耳に入らないようだ。 「あれ、でもこっちに来るのは女の子の方だけだよ?」 「え!?」 近くで見る「客人」は遠目で感じたよりもずっと美少女だった。少し俯いた表情は暗くどこか緊張しているようだったが、透き通るような白い肌と綺麗な金髪はまるで人形のようだ。更に近くまで来ると、瞳の色も見事な蒼色であることが分かった。 その少女と別れた美少年は彼女の背中をずっと眺めていた。やはり表情までは見えないが、どことなく楽しんでいるような感じだ。 案の定、少女が村の入り口まで来ると、少年は可笑しそうな声で叫んだ。 「セラ、転ばないように気をつけなよ!」 少女は怒ったように何かを言い返していたが、それを傍観していた青年のうち一人はそれが全く耳に入らなかった。少女をセラと呼んだ少年の声が非常に聞き覚えのあるもので、それに気を取られていたからだ。 「ねえ、今の声聞き覚えないかいナ…」 「うわ〜本当に綺麗な子だね〜〜」 彼女はどうやら自分の世界に入ると周りが見えなくなるタイプらしい。やはり隣の彼の声は耳に入っていない。そもそも遠くにいる少年の声よりも、近くにきた少女の容姿の方に釘付けになっているようだ。 少年が少女に軽く手を振ってから背を向けると、少女の方も村の中へと足を踏み入れた。 三人は――正しくは彼女一人だが――はそれを見計らって少女に声をかけた。 「ねえ、占いの結果を持ってきたのってあなたでしょ?」 初対面の人間に挨拶もなしにそれはないだろう、と青年二人は頭を抱えた。 現に、突然声をかけられた少女の方は訝しがるような冷たい目をして固まっている。しかしすぐにそれは彼女の素の表情なのだと気づいた。 冷たい目をそのままに、はい、と返事をした少女の声には嫌悪感等の棘は一切感じられなかった。 「この書状を村の長の方に渡すよう言い付かって参りました」 少女は三人を順に見回すと、ぺこりと頭を下げた。 そこまでされると恐縮する…と思ったのは青年二人だけで、やはり中心にいた彼女はお構いなしに「やっぱりね!」と少女の手を取った。 「あなたセラちゃんっていうの?さっき自分で言ってたもんね。 あたしはナナミ。村長さんの家まで案内してあげるね!」 セラは戸惑っていた。こうして塔の外の世界でルックのそばを離れることなど、そう多くなかったからだ。ルックは戸惑いを「恐い」と表現していたが、実際は少し違う。セラは人に対しての接し方をよく知らなかった。否、感情表現が苦手だった。だからルックの頼みとはいえ、この仕事を一人でするのも嫌だった。 幼い頃のハルモニアでの経験がトラウマになっているのか、自分が見知らぬ人間に対して必要以上に壁を作ってしまうことをセラは自覚していた。ルックやレックナートは壁を作らなければならない存在ではない。だから彼らには笑いもするし、泣きもする。時によっては先程のように怒ったりもする。 それなのに、自分の手を引くこの女性の積極性はどうだろうか。まだルックやレックナート以外に感情を見せることに慣れていない自分に、嫌な顔一つせずに話しかけてくる。壁を感じたりはしないのだろうか。世界にはいろいろな人間がいるのだと、セラは戸惑わずにはいられなかった。 「なんであの子は来ないのよ〜」 「別にいいじゃないか、ほら、僕はこうして付いて来てあげてるんだし」 「ジョウイはあの子に甘いんだから」 「あの子っていう年齢でもないだろ…っていうかナナミには言われたくないよ、それ」 村の入り口で迎えてくれたのは女性一人と青年が二人。そのうちナナミと名乗った女性が案内してくれるといい、ジョウイという青年も付いて来てくれた。残ると言った一人はナナミの弟と言っていたが、どうやら血は繋がっていないらしい。 ――実はセラの戸惑いはもう一つあった。 あまりにも普通過ぎる三人だったためにセラは口に出せないでいたが、村に足を踏み入れた瞬間にある感覚に襲われたのだ。それはルックを一目で真の紋章の保持者だと見抜いた時と同じ感覚で、セラ特有の知覚神経だけが感じ取れる特殊な能力のせいだった。 (この二人――…真の紋章を宿している?) 二人というのは、ナナミの義弟とジョウイのことだ。セラは確かに彼らから真の紋章の気配を感じ取っていた。しかし見たところ二人の右手には紋章の印は刻まれていない。しかも気配は一つなのに、二人からそれを感じられるというのも奇妙だ。 セラは戸惑いを隠しつつ、これが終わってからルックに話してみようと考えていた。 「ところで、村に来る前に話してた人って……誰?」 「は…?」 「ほらぁ、セラちゃんと同い年くらいの人と話してたでしょ? 仲良さそうだったから恋人か何かかなーと」 ナナミの隣でジョウイが「まだ言ってるのかい」と溜め息をついた。 言われたセラはすぐに返答できなかった。全く別のことを考えていて彼女の話をほとんど聞いていなかったということもあるが、何よりもその質問の意味を理解するのに時間がかかった。 「…恋人、ですか?」 「うん…あ、あの違うならごめんね。あたしもよく早トチリするって怒られるから…」 不思議そうに反芻すると、ナナミが申し訳なさそうに眉を寄せた。彼女の隣ではジョウイがまた溜め息をついている。 セラは質問の意味をよく考えると、苦笑した。端から見える自分たちと、実際の自分たちの関係には大きなズレがある。それはセラにとっては哀しいものではあったが、少なからず滑稽にも思えた。青年であるはずの彼は、端から見ればやはり少年なのだ。 「あの方はこの星占師様のお弟子にあたる方です。本来ならばあの方がこの書状をお持ちするはずだったのです。今回は諸事情で私が代わりに参りましたが、恋人などの特別な関係ではありません」 「それなら、あの人はセラちゃんの兄弟子みたいなもの?」 「――厳密に言えば違うのですが、似たようなものです」 ジョウイがへえ、と呟いた。 「でも転ばないように、とか言ってたよね。きみは随分と可愛がられてるんだな」 その瞬間、セラを見たジョウイは、いや彼女と同性であるナナミですら思わず赤面した。 たった今まで、声や言葉とは裏腹にほとんど表情を変えなかったセラが、ふわりと笑ったのだ。 「あの方は…いつまでも私を子供扱いするのです。とても、とても優しい方なのですが……」 そう言って軽く目を伏せる仕草には息を飲んでしまう。一見、自分達より一回り近くは若いはずのこの少女が、この時だけは一端の女性に見えるから不思議だ。 とにかく、言葉ではなかった。この少女が彼をとても大切に想っているということが、ひしひしと伝わってくる。それこそ、こちらが照れてしまうほどに。 「どうかしましたか?」とセラが訊ねるまで、二人は押し黙ったままだった。 そして、ナナミが慌ててなんでもないと誤魔化す頃には、三人は目的の家の前まで来ていた。 ルックは早々に用を済ませていた。もともとそんなに面倒な用ではなかったので、セラに「すぐに迎えにくる」と言ったのも嘘ではなかった。 彼女と別れる際は手ぶらだったが、今ルックの手の中には一本のロッドがある。身長ほどもある柄は緑に近い濃紺色で細く、頭と石突きの部分には揃いの淡色の水晶が嵌められている。それを固定しているのは磨き込まれた銀細工で、特に頭部の方―水晶の大きさも石突き部分よりは大きい―は花びらのような凝った造りになっていた。 少なからず魔法を使う者は力の発動に媒介を必要とする。魔力の弱い者はそれを膨張させるため、逆に強い者は制御するためだ。その媒介にもっとも選ばれやすいのがロッドだった。 ルックが以前使用していたロッドは、師から受け継いだ物だった。しかし紋章の力を自在に使えるようになった彼には不要の物で、現在は手に取ることはほとんどない。そして、新しい物も必要としていない。今、彼が握っているロッドは彼のための物ではなかった。 「まだ終わってないのか…」 ルックは村の入り口まできていた。まさか自分の用が先に終わるとは思っていなかったのだろう、少し複雑そうに顔をしかめた。 しかしこの村はたった今自分が用を済ませてきた村よりも更に田舎だ。村長の家といってもたかが知れているはず。探すのはそう面倒なことではないだろう。 ルックはそこまで考えると、言葉通りセラを迎えに村の中へ足を踏み入れた。 その時だった。 「ルック―――?」 名を呼ばれて思わず振り返る。そして、目を見張った。 「やっぱりルックだ!さっきも聞き覚えのある声だと思ってたんだ。もしかするとここに来るかもしれないと思って待ってたんだけど…久しぶりだね!」 彼≠ヘ無邪気な笑顔で語りかけてくる。当時の彼≠ヘ少年だった。しかし今は成長して見事な青年になっている。 だからといってルックが彼≠見間違うはずがなかった。 彼≠ヘナナミの義弟、ルックのかつての星主だ。 BACK/TOP/NEXT |