時 代 と 歴 史 と
【2】
「ハルモニアとの国境沿いで、奇妙な奴等と会ってよ」
酒を呷りながら言ったのはビクトールだ。
奇妙とは、とクラウスが首を傾げた。
「男四人に、女一人。ばらばらに行動してたようだが―…ありゃチームだな、フリック?」
「そうだな。一見すると民間人…と言うには怪しすぎたが、まあ旅の者といってもおかしくない連中だった」
フリックが答えると、クラウスは少し険しい表情になった。
「まさか、ハルモニアの?」
ずいぶんと勘が鋭くなったと、フリックが笑いながら酒瓶を口につける。
ビクトールもにやりと笑い、言った。
「――ああ、おそらく傭兵だ」
二人が出会ったハルモニアの傭兵とおぼしき人間とは、ハイランド県とハルモニアの国境沿いにある小さな街の酒場で出会ったらしい。
最初に声をかけてきたのは隣のテーブルで飲んでいた女だった。どれだけ飲んだのか知れないが、空になった酒瓶が山ほど転がる中、野菜だらけの料理が並んでいたのが印象的だったらしい。
世間話から始まり、デュナンの情勢、現在のトップに立っている人間は誰かまで話題になると、最後は英雄ゲンカクの息子はもういないのかと訊いてきたという。
とりあえず知らぬ存ぜぬで通したが、その後同じ質問を別な人間から繰り返された。それが、残りの四人だった。自分はギルバートの傭兵隊にいたことがあると上機嫌で話していた男もいたが、一番印象的だったのは碧眼なのか眼帯をしていた男だった。
「おそらく、あいつがあのチームのリーダーだな」
ビクトールが言うと、フリックも頷いた。
「俺たちも傭兵の経験ならあるし、まず間違いなくあいつらがやってたのは情報収集だ」
「しかもハルモニア側のな。両国の関係がそろそろきな臭くなってきたとは思ってたが、これで確信したってわけだ」
そして最後の一滴をごくりと飲みほした二人を見て、クラウスはふうと溜め息をついた。
「…しかしお二人はそれを報告するためだけに、わざわざここへ来たわけではないでしょう」
タダ酒が飲めると――父の墓参りに来たというのは口実だと、そんなことにはとうに気がついていた。
この国の建国には二人は無くてはならない存在であり、そして彼らはその国が揺らいでいる時に大人しくしていられる性分ではないはずなのだ。
クラウスは険しい表情をいつもの穏やかなものへ戻し、
「本当に勘が鋭くなったぜ、お前」
「誰かさんの教育のたまものだな」
と、二人が快活に言った言葉に首を振った。
「わたしなど、まだまだですよ。現に、お二人を雇う算段をどうつけたら良いのか迷っているところですから」
にっこりと笑む影に、彼の師たる男の顔が見え隠れする。
「俺たちが雇ってくれと言う前に牽制するとは……」
ビクトールが唸るように言い、
「誰かさんの教育のたまものだな…」
フリックもがくりと肩を落とした。
二人はそもそもデュナンの国民ではない。統一戦争の頃も傭兵として――それ以上の働きぶりではあったが――戦っていたのだ。だが今回も雇えば雇ったなりに、代償以上の働きをしてくれるに違いない。
クラウスは小さく笑った。
「話は城に戻ってからにしましょう。 こういう取引にうってつけの人物が待っているはずですので」
「…うってつけの人物?」
「はい。 わたしのような立場の者がやすやすと城を空けるわけにはいきませんから、それなりの置き土産を用意してきました」
はあ…と、二人は理解したようなしていないような返事をした。
「とにかく、父との酒宴はもうお開きです。 お二人もよろしいですね?」
「俺らはいいけどよ…お前は」
心なしか気遣わしげなビクトールの声に、
「構いません。 わたしも父上も、軍人なのですから」
クラウスはきっぱりと言った。
そうですよね、父上。
クラウスは墓標に一度だけ杯をかかげ、ふと目を伏せたが、まもなく中身を飲みほした。
「甘い!」
デュナンの城にある会議室で、懐かしい怒鳴り声が響いた。
国内の参謀たる面々の前で怒鳴られたビクトールとフリックは、懐かしいやら虚しいやらで複雑な溜め息をもらした。
肩を落とした二人を斜め上から容赦ない形相で見下ろすのは、かつての同盟軍を勝利に導いた元・正軍師。
「しかしだな、シュウ」
「却下だ! まったくお前らときたら、何も変わっていないようだな。俺はこんな無駄な作戦に無駄な金を動かす気はさらさらない!…クラウス、お前の意見は」
「同意です、シュウ殿」
笑みすら浮かべて言い退けるクラウスに、フリックはまた深い溜め息をこぼした。
「そんなに無駄無駄と言わなくてもよ、」
「無駄なものを無駄と言って何が悪い」
ビクトールの喰いつきは正論であっさり却下された。
クラウスのいう置き土産とはシュウのことだった。
軍師が城を空けるのであれば、代わりになる人材が必要となる。それは副軍師の役目であったが、デュナンの副軍師はクラウスの右腕として活躍できるほど優秀ではなかった。
そこでクラウスが考えたのが、自分の師であるシュウだ。彼こそがデュナンの建国の際もっとも功績を上げた人物で、彼がいなければ国どころか同盟軍すら出来上がっていなかっただろう。
現在は交易で商いを営んでいるシュウだが、そのおかげか国外の情報も簡単に手に入る。ハルモニアの動きについては、クラウスが連絡を取る前にすでに察知していたらしい。
「とにかく、俺がここへ来たからには俺の指示に従ってもらおうか」
シュウはばさりと音を立てて地図を広げた。デュナン国内とその周辺が細かに記されている。かつて地図職人の少年が、城を出て行く前に仕上げた逸品だ。
シュウは指で数箇所を指した。
「よく見ろ。お前たちのいう作戦は、今指した所が穴になる。しかも、つけこまれたら終わりという場所だ」
「でもよ、そこなら城から離れてるから…」
「――クラウス、こいつらにその穴が何を意味するか説明してやってくれ」
シュウは嫌味もはなはだしいばかりの溜め息をついた。
ビクトールもフリックも憮然としているのを見て、それがまた懐かしいとでも思ったのだろうか、クラウスは肩を揺らして笑った。
「お二人のいう作戦はかつての同志の繋がりを使って、各地の軍を集結させようという作戦でしょう。しかしそれでは意味がありません。何故ならハルモニアの目的はデュナン侵略ではなく、ハイランドの奪回だからです」
ビクトールとフリックが「あ…」と間の抜けた顔をした。
「今シュウ殿が指した穴とは、まさにハイランド県とハルモニア領地の隣接部。そこを手薄にすればまんまと相手の思うツボなのです。今回の戦は城を守るのではなく、あくまでも相手を追い払うことが前提です。条約等々はそれから後の話です」
珍しく饒舌な説明をすると、
「――だから、お二人の作戦は人件と資金が無駄にかかり過ぎるというわけです」
と柔らかな口調のままにっこり笑った。
シュウが満足そうに頷いたのを見て、フリックは脱力したように呟いた。
「今のクラウスはあんたにそっくりだよ…」
彼のぼやきは正しかった。
クラウスがシュウから教えを受けたのはわずか一年ほどだ。それは同時に統一戦争終結から一年間という時間を意味している。彼は建国の体制を整える仕事の合間に、軍師としての教えを叩きこまれた。
一年とはとても短い時間だったが、しかしクラウスはそれを見事にやってのけたのだ。
「ということで、お前たちの案は却下というわけだ。クラウスにここまで説明させて理解できないなどとぬかすようなら、ここからすぐに出ていけ」
何年経っても変わらない舌鋒は、二人だけでなく、他の参謀たちの口も見事に塞いでしまった。
シュウが軍にいた頃から十一年が経過している。内部の人事には少なからず変化があり、中には統一戦争を直接経験していない者もいたりする。それらを黙らせることにより、統率を計ることができる。
当然、不満や不平は出てくる。しかしクラウスがいればそれを均すことも難くはなかった。
「よう、クラウス」
ビクトールは久々にレオナの経営する酒場で一人飲んでいた。
シュウの作戦には参加するが、軍事会議に直に参加するのは抵抗があるということで、ビクトールもフリックもこの場所に来ていた。
最初はレオナを交えて三人で談笑しがら飲んでいたのだが、フリックは何か後ろから来そうな気がするなどと青い顔をして出ていった。「ありゃトラウマだな」とビクトールは笑ったが、かつてフリックを追いかけていた少女はもうここにはいない。
「会議はどうなった?」
「以前よりトラン共和国に援軍の依頼を出していました。本日大統領より直に回答があり、近日中に右将軍と左将軍がいらっしゃるそうです」
「右将軍と左将軍…アレンとグレンシールか。あいつらなら文句ナシに有能な将軍だ。レパントも随分と大見栄きったもんだな」
ビクトールは赤月帝国でその人ありと言われたテオ・マクドール将軍の側近二人の顔を思い浮かべた。
上官が上官だったおかげか、言葉通り、非常に優秀且つ信頼できる軍人だった。
「ご子息がこちらの軍に在籍されていたわけですし、その縁もあってのことだと思いますが…」
クラウスが苦笑するのを見て、ん?と首を傾げた。
「そういやシーナって今は何やってんだ」
「よく、存じて上げてはいないのですが……その、結婚したとか離婚したとか、その…」
珍しくクラウスは言葉を濁した。
事情は飲み込めないが、あまり公にはしない方が良いことなのだろう。結婚も離婚も非常にシーナらしいといえばそうなのだが、クラウスが言葉を濁すということは、もしかしたらデュナンで広がるとまずい類の話なのかもしれない。
(ひょっとして相手は統一戦争時の仲間の誰かか?)
などと勘ぐったが、レオナも知らんふりをしているので、あえて深入りはしないことにした。
「まあ、いいさ。で、お前はその報告に来たのか?それとも一杯やりに?」
「…わたしが酒を嗜むのは年に一度だけです」
クラウスが肩を竦めるのを見て、レオナにそうなのかと訊いた。
「この軍師さんときたらいつも冷やかしでね。オーダーされたことなんてとんとないねえ」
答えたレオナが笑ったものだから、クラウスもほっとしたように顔を綻ばせた。
「しかし父の命日用の酒はいつもレオナさんにお願いしてるじゃありませんか」
「はいはい、ありがとさん」
相変わらずきっぷの良い彼女は更に笑った。
「飲みに来たわけじゃねえってことは、わざわざ報告に来てくれたのか」
「まあ、そんなところです」
何だよはっきりしねえなと言うビクトールを、クラウスは軽く笑ってごまかした。そして、
「では、これからシュウ殿と打ち合わせがありますので――」
失礼しますとクラウスは酒場を出ていった。
彼がここに居た時間はほんのわずかだ。本当に報告だけだったのだろうか、とビクトールはふと思った。それだけの用に、わざわざここに?そんな疑問が顔に出てしまったのか、レオナが苦笑混じりに言った。
「クラウスがここに来るのはただの日課だよ」
「…冷やかしにか?」
ビクトールとしては冗談のつもりで先ほどの彼女の言葉を取っただけだったのだが、レオナは至極真面目な表情で首を振った。
「将軍は酒が好きだったろう?」
「え…」
予想外の答えだったのか、ビクトールは言葉につまった。
「いるはずのない人の姿を探してしまうのは、別に悪いことじゃないと思うけどね」
少なくとも私は、と付け足した。
「あの軍師さんはちゃんと前を向いてる。だからほんの少しだけそういう所があっても許されるんじゃないのかい? 誰にだっているだろう、忘れてはいけない人ってさ。 それを許されるに値する人ってさ」
ビクトールはそうだな、と苦笑混じりに呟いた。
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