客人は意外な人物だった。城の中はその「彼」を一目見ようと騒然となる。
どこにいらっしゃる?
やはり軍師様の所だろうか。
俺、ちょっとだけ見たぞ。本当に少年だった!
ああ、是非お会いしたいわ!
ギャラリーが「彼」を探し走り回る中、当人はどこ吹く風で歩いて来る。
「今回もきみの特等席はここなんだね」
「……久しぶりだってのに、第一声がそれかい?偉くなったもんだよ、無礼だとか思わないわけ?」
「それはお互い様だよ。人がせっかく顔を見せに来たんだ、本から目を離すくらいのことはしてくれても良いんじゃないか?」
「読書中に声をかけて来る方が悪いね」
頭の上の方から、やっぱり相変わらずだ、と溜め息の気配を感じる。
「―――…久しぶりだな、ルック」
その声を聞き、ようやくルックは顔を上げ、本を閉じた。約束の石盤を背もたれにし、座り込んだままで。
「君も相変わらずだよ……」
城を騒がせている張本人・トランの英雄が満足そうに笑った。
その意味は、まだ
(前)
トランの英雄がこの城にやって来る、この話題は当人が到着する頃にはすでに城中で持ちきりだった。城主が彼と出会った時に、シーナが同行していたのが運の尽き。最早これは、おしゃべり男の使命としか言いようがない。
「あの馬鹿の騒ぎ方にもうんざりだったけど……それ以上に君の居場所を聞いた時は開いた口が塞がらなかったよ」
「へぇ…ルックでもそんな顔をしたりするんだ?ちょっと…」
見てみたい、の呟きはルックの鋭い一瞥で遮られた。
「―――…とっくにトランの周りからは消えたと思ってた」
「……さっすが、鋭い」
苦笑交じりの英雄は、どうぞと言われるまでもなくルックの左隣に陣取った。
三年という月日を経て再会した少年たちの会話。こう耳にすれば、なんとも明るく賑やかなものだろうと連想するのが人の常。
しかし、現にこの城の中央にて床にだらしなく足を放り出して座り込む二人は、あれほど騒いでいたギャラリーすら遠ざけてしまうほど、その人の常なるものをことごとく砕いていた。
ルックは誰に対しても愛想を振りまく型の人間ではなかったが、トランの英雄を目の前にしてまでも悪態をつき続ける様は、過去の戦争を知らない者にとっては異様なものだった。もっとも、フリックやビクトールを筆頭にシュウ軍師を相手にしても、徹底されたその捻じ曲がった性格は、もはや自他ともに公然のものとなっていた。
その外野のルックを訝しがる思惑は全く伝わる様子もなく、当の二人はただ静かに語り合っているだけ。それは本当に静かな光景で、小さな声の会話が周囲にもれる事もなく、時折聞こえるものと言ったら、客人である少年の笑い声だけだった。
しかし間もなくこの光景も、周囲の者にとっては視界の一部に映るただの景色の一部と化していた。
「もっと色々な所に行ったんだよ。ここの城主と会ったのはたまたまバナーの村だったけど……本当に色々な所を歩いた」
右手に爆弾を抱えながら歩く道。それはかつての彼の親友が、三百年もの時間をかけて彷徨った茨の道。
「だけどな、ルック。それでも僕は別にトランを捨てたわけじゃない。ただ、テッドがそれまで生きてきた意味を考えると…僕はどうしても皆と一緒にいることはできない、そう思っただけだったんだよ」
「……うん」
淡々とした相槌。しかし、それは以前の彼と何も変わってはいない象徴で、は思わず笑みをこぼした。
「きみならそう言ってくれると思った。」
ルックはいつものように、フンと悪態をついた。隣で「それも変わってない」と吹き出したのには無視を決め込んで。
「本当にいろいろな所を歩いた―――…けど、やっぱりハルモニアは嫌だったな」
右手をかざし、どこか遠い目をするようにぽつりと呟く。
「もともと良い噂は聞いてなかったからさ」
「…真なる紋章を集めているのはハルモニア神聖国の方針さ。どうせだったら外してしまえば良かったのに、ソレ」
ルックが顎で指した先にはあるのは、やはりの右手。幾重にも包帯で巻かれたそれは、しかしルックが称した「ソレ」とは紛れもなく意味が違う。
もっと重く、限りなく異質なモノ。呪われた右手、真なる紋章の棲家。
ルックは密かに苦笑する。(僕の場合は保管してるだけか。)彼はぎゅっと右手を握りしめた。
そんなルックに気付いたの否か、は意外なほどに明るい声で言葉をかけた。
「じゃあ聞くけど、何でルックは外さないんだ?」
の方に向き直ると、嫌味なほどの笑顔が映る。それと同時に、ルックの表情に緊張が走った。
「……性格悪いね、いつの間に僕の右手のことを知ったんだ」
「性格悪いだなんて、失礼な。僕のはルックに比べれば可愛いもんだよ」
それはどこまでも毒のない笑顔で。
ルックは一つ、大きな溜め息をつくと、ゆっくりと右手を解いた。
「さっきのは失言だった―――…って謝って欲しいの?」
「まさか!やめてくれよ、ルックが謝るなんて気味悪い。……大体にして謝ることじゃない。それに、どっちかって言えば……僕の方が酷いことを言ったんだろうなってことは自分でも分かる」
悪かった。ぺこりと頭を下げたに、ルックはまた一つ溜め息をついた。
「英雄がこんな簡単に頭を下げるもんじゃないよ」
ハルモニア神聖国の方針は以前から知ってたよ。これでも将軍家の血筋だしね。でもそんな常識なんかよりも、もっと現実味を帯びた噂だって耳に入ってくる。ハルモニアの周辺国を歩けば、それは必然だ。けれど、たまたま耳にしたその「噂」は僕には何の関係もないし、その知識だってない。だから今日まですっかり忘れていたんだ。
日頃からあまり喋らないルックに代わり、は一方的とも言える勢いで話した。話題が話題なだけにあまり大きな声ではなかったが、隣の彼に届くには十分なほどだ。この話をする前に、「ところで」と前置きしたのが、ルックに妙な不信感を与えたようだった。
彼は一瞬の間を置いて、「へぇ」と短く返した。
「―――ルックは“その噂って何?”とか聞かないんだな」
「…別に興味ないし」
はやれやれと首を振った。
「嘘だな」
ルックはその言葉に特に動揺するでもなく、横目で彼を見る。
「何故、そう思うのさ」
「………ビクトールに聞いたんだ。 ルックが一人でハルモニアの軍隊を撤退させたってね」
穏やかな顔に静かな声。しかしそれは有無を言わさぬ力が込められていて。
ルックは舌打ちした。それと同時に彼の目に鋭い光が走る。はそれを見逃さなかった。
「きみはあの噂を知ってたんだろう。だからその情報を得るために、わざわざハルモニア軍に出向いた、違うか?」
「――――…前言撤回だ。君は変わったよ、。三年の間に随分と性格が歪んだらしいね。誘導尋問のつもりかい?仮に君の推測通り、僕がその噂を知ってたとしよう、だけどそれはあの戦いとは全く関係ないね。たまたま、あの軍を率いてた神官将に私怨があっただけさ」
ルックは尚も早口で捲し立てた。
「それに、その噂と僕に何の接点があるっていうんだい?これは君には何の関係もないと、君自身が言ったんだよ、たった今ね!」
普段愛想の欠片もない少年が、声を荒げて肩を並べる旧友を睨み付ける。それはとても奇異な光景で、二人の周りだけは周囲の喧騒をよそに、見えない凍てつく風で囲まれていた。
彼の視線と冷たい風は、容赦なくの全身を貫いた。
「、君は僕のどこを、何を、どれほど理解している?ねえ、答えられるかい?無理さ、それは無理な話だよ。いくら君がソウルイーターを宿していても、まだ視えていないはずさ。君は真なる紋章の存在にただ恐怖するだけで、その恐怖が何を意味するかなんて、まだ知らないんだから」
そう、まだ。声には出さずに繰り返す。
真なる紋章の苦痛は恐怖だけではないことを、むしろ恐怖だけなら良かったものと、幾夜にも夢で泣いたことを、この生と死を司る少年は知らないのだ。
知って欲しいわけではない、まだ救いの道はあるかもしれない。自分はまだそれに賭けている、夢を見ているのだ。だからこそ、一度夢破れた時代を築いた張本人にだけは、自分を惑わして欲しくはなかった。
チカラを手に入れることによって、感情が負に傾くのは時間の問題だ。
その「噂」は僕を惑わせる。
「ねえ、君は僕がこんなことを言うのはらしくないと思うかもしれない。けれど、君もいずれ僕の云わんとすることが視えてくるよ。だから、それまでは―――…」
が聞いたルックの言葉は意外なもので、思わず目を丸くした。彼の言葉の意図するものは、自分の中で及ぶ限りの考えでは到底理解できないものだった。
隣で、肩を並べる距離にいるのに、それはどこか遠い所から聞こえてくるような気すらしていた。
「それまでは、今の僕を壊さないで」
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