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まとめあげた干し草の束からは太陽のにおいがする。
休憩!とその上に飛び乗ったクレインからはすぐに寝息が聞こえてきた。こうなると夕飯までぜったいに起きないのだと溜息をついたのはマリカで、ジェイルは無言でクレインの隣で同じ態勢を取っていた。 リウはといえば、確かに身体は疲れきっていたのだが(干し草をまとめる作業なんて生まれて初めてだ!)、なぜか眠ることに勿体なさを感じて、目をとじられないでいた。 あんたも少し寝たらと促すマリカもすでに半眼になっていて、きっと夕方にはディルクが起こしに来てくれるからというのは最後まで言葉にならず、それはあっという間に寝息に変わった。 すー、すー、と規則正しい三人分の寝息を聞きながら、リウはふさふさと柔らかい干し草に顔を埋めた。 (あったかいなー……) 干し草の上で横になるのは初めての体験だが、この柔らかさと温かさは何故か懐かしく感じる。それは何度思い返しても良い気がしない故郷の思い出の中で、唯一、きれいな色をしている大切な想いととても良く似ていた。 (元気にしてるかな) 想いの中にいる少女はいつも笑っているのに、別れの際にはその顔を見ることができなかった。元気でいるといいなと、故郷から逃げ出した自分が言えることではないが、それでも願わずにはいられない。 (だって、きっともう、二度と会えない) ずっと一緒にいた。いつも一緒にいた。手を繋いで走って、寄り添って眠って、顔を合わせては笑いあった日々。それらは薄暗い樹海の奥でのことなのに、陽の光をいっぱいに浴びたように輝かしい気がする。その日々が思い返せば思い返すほど淡い色を帯びてゆくのは自分がそう思いたいだけなのかもしれないが、しかし、果たしてそれはもう思い出になってしまっているのだろうか、彼女にとって。 干し草のにおいは故郷にいるかぎり知り得なかったものだ。それなのに懐かしさを感じるのは、静かにひびく寝息の主たちのおかげかもしれない。無邪気な寝顔をのぞき込むと、いたずら心がむくむくとわきあがる。クレインの鼻をつまみ、ジェイルの頬をひっぱってみた。マリカは一応女の子だから痛いことはやめて、干し草のくずをたっぷりと頭に乗せてやった。よほど疲れているのだろうか、三人とも目を覚ます気配がまったくない。今日は朝早くからシトロ村総出で作業をしたのだ。ヨソ者の自分も当然のように頭数に入れられていたのがとても嬉しくて、みんなと一緒に張り切って働いた。村長には手際が悪いと怒られたが、ディルクやシスカなど庇ってくれる人の方が多かった。 (たのしかったな。ずっと、ここで暮らしていけたらな) 心の底からそう思う。けれど。 (ここにあいつも一緒にいたら、たのしかったって言ってくれたかな) 眠っている友人たちの中に、もう一人、大切な少女のまぼろしを見出す。 そのまぼろしはまだ眠れないリウを見て微笑むのだ。 「リウ・シエン、眠れないのなら起きていっしょにおはなししよう?」 けれどリウは首を振る。それはまぼろしで、それは自分に都合が良くて、それはもう叶わないことだと知っているから。 (……あったかいな) そうしてふたたび干し草に顔を埋めた。そこに香る太陽のにおいは幸せを感じさせてくれる。けれど同時にこみあげる懐かしさはまだ少しさびしい。大切でしかたのない、きれいな想い――それは、果たしてもう思い出になってしまっているのだろうか、自分にとって。 その答えをまだ知らないリウは、顔にかかる温かい干し草をひとふさ握り締めて、友人たちと同じように目をとじた。 ふわふわと意識が浮上してきたのは、懐かしい匂いに惹かれたからだった。 そうだ今日は朝から干し草を束ねる作業をして――と記憶を辿りながら、しかしすぐにこの懐かしい匂いが干し草のものとは違うことに気づいた。太陽の匂いというより、森林のさやかな空気を思い出す。やけに温かさを感じるそれに嬉しくなったリウは、笑みをこぼしながらゆっくりと目を開けた。 「あ、目が醒めた? リウ・シエン」 そこには幻と同じ声と視界いっぱいに広がる優しい笑み。鼻先が触れ合うほどの距離にレン・リインがいた。 「――――――ッッッ!!」 声にならない悲鳴をあげてリウは勢いをつけて跳ね起きた。それに驚いたのかレン・リインも一緒に起き上がる。 「リウ・シエン?」 「な、なななななんでレン・リインがここに……!」 ばくばくとうるさい心臓の音を押さえつけながら、もう一度記憶を辿る。 今日は朝早くからシトロ村総出で干し草をまとめあげる作業をしたはずだ。クレイン、マリカ、ジェイルも一緒で、作業が終わったときにはもう疲れきって皆で昼寝を――… (あ、れ……?) 違和感を覚えた。確かに皆で作業はした。毎年のことで、疲れるけれどすごく楽しい。それは間違ってはいない。 急に黙りこくったリウにきょとんとした視線が向けられる。 「……レン・リイン」 「どうかしたの?夢でも見たの?」 「あー…うん、どうやら寝ぼけたっぽい……」 頬をかきながら、あははは、と苦笑いで誤魔化す。 (そっか、夢だ。とゆーか、記憶か) あれは樹海を出たあと、シトロ村へやってきて一年も経たない時期だったように思う。故郷では感じたことのない人の温かさに触れて、とても幸せだった。友人に恵まれて、笑って、怒って、また笑って、楽しい毎日だった。 けれど、その穏やかな日々の中で時おり思わずにはいられないこともあったのだ。この幸せで楽しいときを彼女と一緒に過ごせたら、どれだけ良いだろうと。薄暗い樹海の奥ではなく、太陽の光をめいっぱい浴びて、クレインたちと騒いで笑って、故郷はときどき思い出す程度でいいから――…だがレン・リインが故郷に残ったのは現実だったし、そのうち彼女のいない生活に慣れてしまったのも事実だ。 だから、経緯はともかく、自分がかつて望んだことが手に入ったのは、おそらくこの村で平穏に過ごした日々よりも幸せなことなのだと思う。 例えば今日にしてみても、シトロ村恒例の干し草を束にする作業――むしろ行事に近い――には当たり前のようにリウに声がかかった。スクライブの族長が農作業など、と咎める者はおらず(ルオ・タウあたりはあの無表情の奥で思うところがあったかもしれないが)、もちろんレン・リインもついて来てくれたのだった。一緒にお手伝いします、と笑ってくれたことがどれだけ嬉しかったか彼女は知らないだろう。 「毎年のことだけど、終わるとこの上で寝ちゃうんだよなー。干し草ってなんかこう、安眠効果があるってゆーかさ」 「太陽の匂いがするせいかしら。気持ちが良いものね」 「ああ。でもさっきは太陽っていうより…も……」 と、ここまで言いかけて先ほど目を醒ました時のことを唐突に思い出した。感じた懐かしさは太陽の匂いではなくレン・リインの気配だったということ、そして近すぎる二人の距離に今になって慌てふためく。 「ってゆーかなんでおまえがここで一緒に寝てんのっ!?マリカと一緒に行ったんじゃねーのかよ!」 今年は人手が多かったので(もちろん主力はフリブール城で手の空いていた者たちだ)夕食は炊き出しにして村をあげて騒ごうということになっていた。だから女性陣は干し草の作業をそこそこに、そちらの準備に取り掛かっていたはずなのだが。 「私はシスカさんのお手伝いをしていたの。マリカさんはクレインさんとジェイルさんを起こして別品を作ると張り切っていたわ」 そういえば一緒に寝ていたはずのクレインとジェイルの姿がないことに気づく。 「な、なんでオレだけ起こしてくれねーの……」 「皆さんはあなたが疲れているからと言っていたけれど。でももう準備もほとんど終わったから起こしてきてくれって。だから呼びに来たの」 レン・リインはそう言うけれど、彼らの思惑はきっと違う。あの友人たちがレン・リインとの仲を見守るという名目で思う存分からかって楽しんでいることをリウは知っている。今回だってその一環のはずだ。ちくしょうと毒づいてみたかったが、考えてみれば彼らの思う通りの反応をしてしまう自分がヘタレなだけなので、結局は情けなく溜息が出るだけだった。 それと同時に、ふとした疑問が浮かんだ。 「――あれ? んじゃ何でおまえはここで寝てたんだよ」 「あ、それは寝ていたのではなくて……」 どことなく言いにくそうに目をそらした。よく見れば頬も少しだけ赤くなっているような気がする。意思の強いレン・リインにしてはどちらの姿も珍しい。彼女がクレイン達に頼まれたことを放棄して休憩するとは考えられないし、自分の寝顔が見惚れられるほどのものではないことくらいリウにも自覚があった。では理由は何かと一瞬だけ考えを巡らすが、彼女が言いにくそうにしているのなら別に追求することでもないかと諦めた。結局のところレン・リインが自分に対してやましいことがあるはずはない、と確信しているのだ。 「まーそれはいっか。それよりさっき不吉なこと言ってなかったか?マリカが別品を作るとかナントカ」 言葉通りまさに不吉な内容だが、とりあえず話題を変えたら、視線を戻した彼女が頷いた。 「ええ。クレインさんとジェイルさんも頑張ってお手伝いしていたみたいけど、ほとんどマリカさん一人が作っていて」 にこやかに語られるそれがどれほどの地獄絵図であるかは想像に難くない。一瞬で自身の血の気が引いたのが分かる。 「ば、ばか、マリカ一人に任せてたら殺されるぞ!大体クレインとジェイルだって手伝ってたんじゃなくて必死で止めてたんじゃ」 「へ〜え、リウ君も言うようになったわねぇ」 力説を遮った背後からの声に凍りつく。穏やかだがとてつもなく低い声の主は確認するまでもない。ゆっくり声の方へ首を動かしてみると、そこにはお約束の人物が立っていた。 「マ、マリカ……さん……」 「今年はレン・リインがいるからリウの分は別にいいかって思ってたんだけど……どうやら足りないみたいね?」 「い、いいえそんなことは無いです!ボクはレン・リインのだけでお腹いっぱいです!」 マリカの不敵な申し入れには、精一杯言葉を選んで辞退する。顔が引きつってしまうのは仕方ないが、ここはなんとか切り抜けたい。リウの頭の中には「やばい」の文字が散乱していた。 その様子があまりにも滑稽だったのか、苦々しい溜息こそはつかれたが、マリカは意外なほどにあっさり許してくれたようだ。 「まったく。レン・リインも戻ってこないし、心配して呼びに来たってのにこれだもんね。まあいいわ、今日はこの辺で勘弁してあげる」 「はは……あくまでも今日は、ですか」 「だってあんた達も村のためにたくさん働いてくれたしね。本当にありがとう」 やはり村長の娘だからだろうか、こういう事はしっかりしている。礼を口にしたその表情からは本当にシトロ村を想っていることがよく分かる。レン・リインにもそれが伝わったのか、目が合うと口元が緩んだ。 けれど。 「特にレン・リインなんてリウよりずっと手際が良いんだもん!父さんもリウには勿体ない嫁が来たもんだって喜んでたわよ」 「よ……っ、ま、まだ嫁じゃねーよ!」 勢いで切り返した言葉の意味にリウはすぐに気づくも、おそらくこれから言い訳を考えても赤くなってしまった顔では説得力は悲しいほど、ない。 「まだ、ねぇ。あんたって頭良いくせにレン・リインに関してはビックリするくらい墓穴掘るわね」 「――…」 マリカは冷やかすどころかむしろ感心したように目を丸くして、もちろんそれに反論する気力はリウにはもうなかった。がっかりと肩を落とし、寝起きだというのに(ある意味では強烈な目覚めだったが)よりいっそうの疲れを感じるだけだ。 ふと、状況を理解しているのか否か、二人のやり取りを見ていたレン・リインがくすくすと笑い出した。おまえが笑うな、とリウが言えば、ごめんなさいと謝る。けれど笑いの虫はなかなか治まらないらしく、我慢はしているようだが、肩の震えまでは隠せていない。 「おーい、レン・リイン?」 「ご、ごめんなさい……だって、二人とも仲が良くって楽しいんだもの……」 言いながらも、やはり笑いがこぼれる。 彼女の言う「仲が良い」というのがいわゆる男女の仲を指しているわけではないことをリウは知っている。けれどマリカには通じなかったらしく、 「何言ってんの、仲が良いってのはそういうのを言うのよ」 呆れたようにリウの手を指した。否、厳密に表現すればリウとレン・リインの手。 一瞬の空白の後、リウは指された手を目の高さまで持ち上げた。すると同時にレン・リインの手も同じ高さまで上がる。それがどういうことなのか理解するのに数秒かかった。 「だ――――ッッッ!!な、な、なん、なんでっ!?」 いつの間にやら繋がっていた二人の手は、リウの悲鳴と同時に離れた。それで笑うどころじゃなくなったのか、レン・リインも頬を赤くして俯いてしまった。 手を繋いでいたというよりもリウがレン・リインの手を掴んでいたらしく、ちらりと盗み見た彼女の手首は僅かに赤くなっていた。それに申し訳なさを感じつつ、しかし一体いつの間にそんなことになっていたのか記憶を辿ってみる。目が醒めてから彼女に触れた覚えはないから、おそらく寝ている間に掴んでしまったのだろう。 「……ま、まあ、二人とも落ち着いたら来なさいよね。向こうはもう準備終わってるし」 じゃあ先に行ってるから〜と出て行ったマリカは、よほどリウの反応が可笑しかったのか明らかに笑いを堪えていた。これ以上追求しないでくれたのはありがたかったが、肩を震わせた後ろ姿はどうにも恨めしかった。おそらくクレインとジェイルの耳にも入れる気なのだろう。後で皆のところへ戻ったときのことを考えるとリウは頭が痛くなった。 やがてマリカの足音も聞こえなくなって、二人の間に微妙な空気が流れた。このまま沈黙が続くのも耐えられそうにないので、とりあえず脱力しきったリウが先に口を開いた。 「――あの、レン・リイン」 「ご、ごめんなさい、リウ・シエン。本当はさっき言おうと思ったのだけど、その……あなたを起こそうとしたら」 「寝ぼけたオレに手首を掴まれて、あげくに引っ張られた、と」 「………ええ」 それであんな近距離に彼女の顔が。しかし、なるほどそうだったのかーなどと簡単に納得できるわけもなく。はー、と深く息を吐くと、レン・リインが「ごめんなさい」とまた頭を下げた。 「おまえが謝る必要ねーだろ。オレの方が悪いんだしさ、ほんとゴメン」 「でも、」 「いやオレも寝ぼけてた自覚があるんだ。そういう夢を見てたってゆーか」 そう、確かに自分が見ていたのはレン・リインを想う夢だった。おそらく干し草を握ったと思ったのが、レン・リインの手だったのだろう。とても温かった。それを思い出すと恥ずかしいのはどこかへ消えて、その代わりにとても大切なことに気づいた。 「どんな夢だったの?」 訊いてくる穏やかな緑の眼がたまらなく愛しくて、離したはずの手をもう一度掴む。白くて細いそれはやはり温かくて、(ああ、やっぱりそうだ)とリウは確信する。 「夢っていうより記憶だよ。集落を出て三年の間、今日みたいに楽しいことがあるとおまえのこと考えてたなって。ここにレン・リインもいたら楽しいって言ってくれたかなーって、そんな感じの」 「リウ・シエン……」 「オレはおまえとはもう二度と会えないと思ってた。けど、おそらく樹海の奥でおまえと一緒に過ごした時間を思い出にはしたくなかったんだ。そりゃ再会できないままだったらいつかは思い出になったのかもしれねーけど、その時はまだそういうのに閉じ込めたくなかったってゆーか」 言っているうちに自分でもよく分からなくなってきた。そもそもこの想いを言葉にするのはとても難しい。スクライブは合理的に率直な言葉を使うが、自分はそういうのに向いていないとリウは思う。 けれど伝えておきたい言葉がどんなものかは知っていた。 「――でも、今ならおまえとの時間を懐かしいと思っても全然寂しくないんだ」 レン・リインはリウの言葉を吟味するように彼の眼を見つめていたが、やがて、 「それは私も同じだわ」 嬉しそうにちいさく頷いた。 夢にまで見たあの懐かしくて温かい、綺麗な記憶――それはもう思い出になってしまっているのだろうか、二人にとって。 けれど今ではもうどうでも良いことだ。互いがこうしていられることは、夢でも記憶でもなく、ましてや決められた未来などでもなく、まさしく現実なのだから。 リウは表情が緩むのをなんとか抑えようとしたが、それはもろくも失敗することになった。 レン・リインが手首を掴むリウの手に自らのそれを重ねて、耳打ちをしてきたのだ。 「今日はとても楽しかった。リウ・シエン、本当に楽しかったわ」 ――当分は皆のところへは戻れそうもない。 とりあえずこの腑抜けた顔をどうにかしない限り。 E N D ============================================================== レン・リインはヤディマ爺さんやセレンさんにも嫁認定されています。 むしろシトロ村全員に認定されています。 ところでマリカの料理はそんなに壊滅的なのかと。 ============================================================== |