少年軍師


 地図と睨み合ってすでに数刻。頭の中ではいくつかの部隊がその紙面上を動き回っていて、あらゆる条件を変えながら同じことを何度も試してゆく。こちらの被害を最小限に抑え、相手に最大限の打撃を与え、なおかつ迅速に終えることができる、もっとも効率の良い方法を探すことが自分の仕事になったのは一体いつからだったろうか。

「リウ・シエン」
 名前を呼ばれ、リウはようやく地図から目を離した。この城の中で自分を本当の名前で呼ぶ者はそう多くないし、そんなことがなくてもこの声だけはすぐに分かる。
 部屋の入り口に顔を向ければ、やはりレン・リインが立っていた。
「ごめんなさい。邪魔をしてしまったかしら」
「別にいーよ」
 うーん、と身体を伸ばしてから軽く笑ってみせた。
「夕食がまだでしょう?食事くらいきちんと取らないと身体を壊してしまうわ」
「げ。 もうそんな時間!?」
 周囲を見渡せば、そういえば暗い気がする――どころか真っ暗だ。うそ!と裏返った声で叫べば、レン・リインが苦笑した。
「そんなことだろうと思った」
「……今日はクレイン達が出かけてるからなー。あいつ食事の時間だけは忘れねーから」
「そのクレインさん達が帰ってきたときに軍師のお役目のあなたが体調を崩していたら大変よ」
「あーうん、それは分かってるんだけどさー…」
 それでも時間を忘れるほど集中していたのだから仕方ない。軍師という名前は未だにしっくりこないし、この先も自分には合わない気がする。しかしその中身は非常に楽しい作業だとリウは思う。長の線刻を継承する前からすでに必要とされていたこの仕事は、スクライブとしてではなく、リウ自身に求められたものだ。いつの間にか定着してしまったこの役目だが、他の者から異存が出ているという話も聞かないし、それなら自分が適任者なのだと自認しても良いのだろう。
 以前はシトロ村の仲間たちと騒ぎながら一緒にいることが楽しくて仕方なかったが、参謀的なことを任されその面白さを覚えてしまうと、こうして一人頭の中で策を巡らすことにも夢中になった。確かにいつも一緒にいる食事だけは忘れない団長が不在時などは、今回のような弊害があるわけだが。
「でもあと少しだけ詰めたいんだ。クレイン達が帰ってくる頃には万全にしときたいし」
 ふたたび地図に目を落として呟いた。
 策を練る作業は楽しい、けれどそれはとても不謹慎な表現だという自覚はある。何といっても戦いはひとの命が懸かっているのだ。もちろん世界の命運などと大きな壁の前ではそれらがとても小さい存在だということは知っているし、それで失われてしまう命があるのも仕方のないことだと割り切る自信もある。だから楽しいとの表現は尚更用いてはならないのだ。
 それなのに。
「リウ・シエン、楽しそうね」
 くすくすと笑いながら、レン・リインが隣に並ぶ。心中を読まれたかのように図星を指されたリウは、彼女に間抜けにもぽかんと口を開けた顔を晒すことになった。その顔を見たレン・リインはますますおかしそうに笑って、地図の横に持っていた籠を置いた。
「これ、お夕食。どうせまだ終える気はないだろうと思ったから持ってきたの。きちんと食べてね?」
「ちょ、ちょっと待って!」
 踵を返そうとするのを呼び止めた。何かしら、と振り返ったレン・リインにはまだ笑みが浮かんでいて、それが気恥ずかしくてリウは心持ち目を泳がせながら言った。
「そ、その――…なんで楽しそうって思った? オレ、なんかそーいうの顔に出てた?」
 もしそうならば気をつけなくてはならない。しまりのない顔は生来の物でどうしようもないが、せめて不謹慎だと思われる事態になるのは勘弁したい。
 レン・リインはそれを悟ったのか慌てて首を振った。
「違うわ。私が言いたかったのは、あなたは昔からまったく変わっていないということなの。顔に出ていたとか、そういうわけじゃないの」
「……意味わかんねーんだけど」
「あなたは昔から夢中になるとそれしか目に入らなくなるから。三年前もそうだった。外の世界で知りたいことや見てみたいことがあって、そして自分を試したがるんだわ。――…スクライブとしてではなく、リウ・シエンとしての自分を」
「レン・リイン……」
「だから正確には楽しそうという表現は間違いなのかもしれない。あなたがとてもあなたらしい顔をしている、と言うべきだったわね」
 そう言うと、レン・リインの目元が優しく緩んだ。
 シトロ村に来たときの自分は彼女が言うようなそんな立派なものではなかったはずだ。少なくともヘタレなのは自他ともに認める事実だったし、星が宿らなければそれが変わることもなかっただろう。いや今でも変わったとは思っていない。かつて樹海の奥から逃げ出した自分は、一度は星の印を得た事実からも逃げたのだ。臆病だし、もしかしたら彼女の言う「昔から変わっていない」というのにはこれも含まれているのかもしれないが――…
「……そんな風に見られてると思うと、もっと頑張んなきゃって気になるな」
 クレイン達はシトロ村へ来る前の自分を知らない。だから樹海にいた頃の自分を知り、今の自分をも知るレン・リインの目には明らかに彼らとは違う自分が映っているはずだ。それがたまらなくくすぐったく、同時に背中を押される気になる。
 成長した自分、変わらない自分、どちらも誇らしく思える。
「お前の言うように、確かにオレは今の役目を楽しんでるよ。オレの知識と好奇心なんてせいぜいスクライブの裏切り者扱いになるくれーのつまんねーもんだと思ってたけど、いつの間にかこうして友達の役に立てて世界を左右するなんてデカイことになってさ。これって凄くねー?なーんて思い始めたらすっげー楽しくなって……でも……」
 リウはレン・リインの持ってきてくれた夕食に目を向けた。
 まだ温かそうなそれはおそらくワスタムが作ったもので、その野菜はヤディマじいさんが育てたものだろう。包んである布地は木綿で、シトロ村で生産した糸をファラモンで織ったものだと聞いたことがある。この籠も珍しい編み方をしているので、ランブル族がどこからか仕入れてきたのかもしれない。
 この城はこうしてたくさんの人や種族が集まり、小さな村から国家まで力を貸してくれることで成り立っている。
 だからリウは溜息をついたあと、苦笑しながら言った。
「……この事はクレイン達に言わねーでくれな」
 戦いは紙の上でするのではない。頭の中で動かすものでもない。地に足をつけ、命を賭けて、守りたいものを守り救いたいものを救うのだ。
 それ以上の感情を見せるのは、この軍の主だけで良い。
「わかったわ。 だけど、リウ・シエン」
「ん?」
「クレインさんは勿論、マリカさんやジェイルさんだって、あなたのそんな所にはとっくに気づいているんじゃないかしら」
 にっこりと笑ったレン・リインに、リウは引きつった笑みを返す。
「……や、やっぱそー思う?」
「ええ、おそらくは」
 シトロ村の友人たちは能天気な割にこういったところは鋭い。それに気づいているレン・リインも鋭いのだろうが……いや、もしかして自分が鈍いだけなのか。いずれにせよ、これから暫くは調子に乗った態度を取るのは控えようと、リウは盛大に溜息をついた。

「あ、あのレン・リイン!」
 それじゃあ、と出て行こうとする彼女を思わず呼び止めてしまったのは、それから間もなくのこと。
 届く距離だと思わずに伸ばした手は意外と簡単に彼女の手を掴んでしまい、引っ込みがつかなくなったリウはそのままくぐもった声で言った。 
「あ、あのさ、お前はもう食事終わったのかもしれねーけど……その、」
「いいえ」
「へ?」
「いいえ、と言ったの。リウ・シエンがまだなのに、私が先に食べるはずがないでしょう?」
 それが当然とばかりの口調でレン・リインは言う。
 けれどそれは彼女にとって義務づけられたことではなく、純粋にリウを想ってのことだと知っているから、すごく気恥ずかしい。
 でも今日ばかりはそれをからかってくれる奴らはいないから。
「じゃ、じゃあ一緒に食おう!オレもあと少ししたら終わらせて行くから――」
「あなたが構わないと言うのなら、私の分もここに持ってくるわ」
「へ? それはもちろん構わねーけど」
 レン・リインの返答は思いがけないもので。
 更に続けられた言葉に、リウは掴んでしまった手を離したいようなそうでないような複雑な感情に困り果てることになった。

「お役目の邪魔をしたくないし、楽しそうなあなたの傍にいられるのは私も嬉しいから」

 からかわれるのも困るけど、フォローが入ってくれないのも同じくらい困る。
 まだまだヘタレな少年軍師は、世界の知識や戦略の他にも学ぶべきことが多いようだ。





 E N D





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だ、誰かレン・リインが主人公たちを何て呼んでるのか教えて下さい…orz
敬語だから「さん」付けかな、などと勝手に思い込んでいる私。
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