たまにはこんな日も
「なあルック、そんなに恐い顔することないじゃないか」
少年の言葉を背中で受け、ルックはいっそう不機嫌そうな顔をした。
今、二人は誰もいない賭場にいた。もう夜も遅いせいか辺りは薄暗い。わずかな灯りを頼りに、二人は立っていた。しかしただ突っ立っているわけではない。少年はほうきを持ち、ルックは雑巾を手にしている。
「僕だって負けると思わなかったんだよ、ほら最近は勝ち続きだったから」
弁解されてもルックの機嫌が晴れることはなかった。それもそのはず、少年の声にはまったく反省の色がない。
「とにかく巻き込んだのは悪かったよ。な、だからこうして手伝おうとしてるじゃないか。そんなに怒るなって」
謝られても、楽しそうな声だけに腹が立つばかりだ。
ルックは数十分ぶりに少年の方を向き、いらいらと雑巾を床に叩きつけた。
「きみが負けるのは勝手だけどね、どうしてこう僕がきみに賭けた時に限って負けるんだい?しかも相手は当代きっての不運の持ち主・フリックときた。恥を知りなよ、恥を!」
早口でまくしたてると、ルックは、はあああと長い溜め息をついた。その溜め息には、信じられない、情けない、ばかばかしい、といった意味が多分に含まれていた。
「それはフリックに対して言いすぎ…」
「じゃないね」
きっぱりと言い切るルックに、少年は苦笑した。
恥を知れとはフリック本人がこの場にいれば斬り殺されても文句の言えないような言葉だが、しかしそれはルックお得意の毒舌のせいだけではない。本当に恥ずかしいことなのだ。
時は数時間ほどさかのぼる。まだ昼間のことだ。
今日は帝国軍の動きを探るという日程で、出陣の予定はなかった。各地に放っているスパイからの情報も今日は帝国に動きなしということで、ふだん殺伐としている城の中も比較的にぎやかだった。
そんな中、リーダーである少年がルックを連れて賭場へやってきた。少年は勝負するつもりは全くなく、単にちんちろりんをしたことがないというルックに本物を見せようと無理やり引っ張ってきただけだった。
「僕は興味ないって言ってるだろ」
「そんなこと言わずに、さ。別に賭けなくたって見てるだけでも楽しいよ」
付き人がそばにいたら、そんなもの見るだけでもいけませんよ! と説教が始まること間違いなしのことを少年は言った。
そもそも、ちんちろりんは一般民衆には縁の薄いものだ。サイの目で全てが決まる単純な運だめしのこの遊戯、しかし遊戯といえば聞こえはいいが、実際は多額の金が動く立派な賭博だ。将軍家嫡男に対し、とてもじゃないが正しい教育と呼べるものではない。それ以前に、賭博自体が帝国では禁じられている。もちろん裏社会では当然のように存在し続けたが、しかし所詮裏社会は裏社会。日の目を見ることはほとんどなかったのだ。
しかしこの解放軍の中では違う。帝国が禁じていても何ら関係はない。若干一名ほど教育に悪いと喧しく騒ぐ者もいるが、せっかく手に入れた娯楽をみすみす手放す阿呆はどこにもいない。リーダーである少年が強運の持ち主で、このちんちろりんに対してもめっぽう強いという事実も手伝って、解放軍の中では非常にポピュラーな娯楽になっていた。
少年とルックが賭場へやってきた時、すでにその場は大盛り上がりだった。
「よう坊、珍しい連れだなあ、おい」
最初に声をかけてきたのはタイ・ホーだった。片手に酌を持ち、ほろ酔いの顔をしながらあごでルックを指した。隣にいたヤム・クーは酒を持っては、少年たちを見てへらりと手を振った。
「――酒くさっ」
ルックがあからさまに嫌な顔をすると、タイ・ホーはガハハと豪快に笑い、お前らも一杯どうだと勧めた。
少年はやんわりとそれを断り、何を盛り上がっているのか訊ねた。
「今日は珍しい人たちも顔を出してるんですよ」
答えたのはヤム・クーだった。
「珍しい人?」
「はい。出陣の予定もないし、皆さんはめを外してるんでしょうね。元帝国軍の人やエルフの方々や…そうそう、フリックさんも来てますよ」
ビクトールさんが連れてきたんですがねえ、とのんびり言った。
昨日の敵が今日の友となるこの解放軍、確かに元帝国軍人やエルフが賭場に顔を出すのは非常に珍しい。前者は今までの規律のため、後者は文化の違いのためである。
しかし解放軍創設時からいたフリックも、また同じくらい珍しいのだ。何と言っても彼の不運は例えようもない。運が悪い、すなわち賭け事に弱いということだ。
彼の場合、運が悪いだけではない。見事に要領も悪いのだ。サイの目に見放されてしまうだけでなく、サイコロを茶碗の外に出してしまう――しょんべんと呼ぶ――失格も一度や二度ではなかった。
「フリックか、それは珍しいかも」
少し背伸びをすると、確かに青いバンダナが見える。
「もういい、こんな酒くさい所はごめんだよ」
そう言って踵を返すルックの襟首をつかみ、少年は引きずりながら座敷の方へ歩いていった。ルックは放せと暴れたが、残念なことに力比べでは少年の方が有利だった。
「どう、勝ってる?」
今、賭場をしきるガスパーの相手をしているのはビクトールだ。少年が声をかけたのは彼のさいころが茶碗の中で転がっている時だった。
ビクトールは少年の問いには答えず、三つのさいころが回転し続けるのを見守っていたが、最初の目が一、その次の目も一、そうして最後のさいころが止まったとき、頭を抱えて盛大な悲鳴をあげた。
「一・一・一…ゾロ目で三倍貰いだな」
ガスパーの笑いを含んだ非情な声が響く。それと同時、周囲から囃し立てるような歓声があがった。
「どうしたビクトール、今日は調子悪いんじゃねえの!」
「そろそろスッカラカンだろ」
ちくしょーちくしょーと連呼しながら、ビクトールはようやく少年に顔を向けた。
「――とまあ、今日はこんな感じだ」
「負け続きなの」
「……」
無言の答えが肯定を物語っていた。
「ま、まあ俺のことはいいじゃねえか!今日はフリックがいるんだ」
な! と青いマントを掴んだ。
「引っ張るな!俺はお前に無理やり連れてこられたんだ!」
「…じゃあ僕と同じだね」
ルックの嫌味は無視して、少年はそうなのかと笑った。
「フリックが賭場に来てるなんて珍しいってみんな言ってるよ。まあビクトールが連れてきたって聞いてたから、強引にだろうなとは思ってたけど。やっぱりその通りだったんだね」
「強引とは失礼な」
言いながらビクトールも笑う。
「戦い続きの日々には息抜きが必要だぜ。コイツもなんか一人寂しくたそがれてたから、連れてきてやったんだよ」
「誰がたそがれてたんだ、誰が! 俺はちょっと湖を見てただけだ!」
「――おまけに怒りやすい。ストレスがたまってる証拠だ。やっぱり息抜きがなくちゃよ」
「お前が怒らせてるんだって、いい加減に気づけ!」
「しかしフリックを連れてきたのは大誤算。こいつの見事な不運ぶりが、俺にも取り憑きやがった。今日の大負けはこいつのせいだな」
そう言ってビクトールがフリックの頭を小突いた時、とうとうフリックがきれた。「きっさま…!」と愛剣を抜いたものだから周囲は騒然となる。「おちゃめな冗談だろーが!」と逃げるビクトールの言い訳は意味を成さない。周りの連中も、逃げろだのやれそこだだの、無責任な野次を飛ばし始めた。
「…ここって賭場じゃなかったのかい」
「うーん、ついさっきまではそうだったみたいだけどね…」
少年二人はなかば運動会と化したこの場を完全に傍観していた。特にルックは喧騒に顔をしかめ、ばかばかしいとばかりに溜め息をついている。
リーダーである少年はその騒ぎを楽しそうに見ていたが、しかし事態がそろそろ収拾のつかないところまできそうに思ったのか、一つ提案をした。
「――それなら、次はフリックがサイをふればいい。ただし賭けをする本人はビクトールだ。これでフリックが負ければビクトールが正しいんだろうから、フリックがこれまでのビクトールの負け分を支払う。勝ったらビクトールが大人しくオデッサの錆になればいい。ね、どうかな」
鶴の一声、といったところか。
その場はこの案に一気に傾き、ついさっきまでとは違う意味で騒然となった。
「おいフリック、当然やるよな!」
「ビクトールも有り金全部で勝負しろ!男だろ!」
無責任な野次は相変わらずだが、その案にはビクトールも面白そうだとにやりと笑った。
「よし、俺はいいぜ。ご要望通り有り金全部で勝負する。フリックはどうするよ?」
「…お前を斬れる口実になるんなら、何だってやるさ」
さきほどの暴言がそうとう頭にきたらしい。本気としか思えないフリックの表情にビクトールは苦笑した。
しかし、
「ビクトールもフリックも賛成だね。ちなみに、相手はガスパーじゃなくて言い出した僕がするから」
リーダーからこの発言があった瞬間、フリックは全身が凍りつき、他の者たちは地響きがするのではないかと思うほど盛り上がった。
稀代の賭博師であるリーダーと、誰もが認める最低運の持ち主フリックの勝負。こんな見ものはまたとないはずだ。フリックが大負けするのは目に見えているが、しかしビクトールがオデッサの錆になるのも見てみたい…気もする。どっちが勝っても楽しみだと騒ぎ出した。
ビクトールとフリックだけは複雑な表情だった。ビクトールは有り金の全てをこの勝負に賭けるが、負けても今までの負け分はフリックが支払うから問題ない。有り金と負け分では負け分の方が多いし、自分にとっては損ではないのではないか。しかしあからさまに喜ぶのもなんだかきまりが悪い気もする。どんな顔をすれば良いのか…
一方、フリックはまったく違うことを考えていた。自分が負けたらビクトールの負け分を払わなければならないのだ。しかしここで異議を唱えたら自分が不運な男だと認めているようなものだし、そんなことは愛剣に誓ってできるはずがない。どうしたら良いものか…
どのみち負けを覚悟している二人の思惑とは関係なく、リーダーは更に言った。
「そっちは二人だから、こっちも二人にするよ。サイをふるのは僕だけど、僕に賭けるのはルックだから」
これにはルックが文句をまくしたてた。解放軍でリーダーにそんな口をきく者はいないだろうというような、一言でいえば「なんで僕が君なんかに!」というような毒舌暴言を並び立てた。言葉の端々にはこんなくだらない勝負を受ける大人たちへの蔑みも含まれていて、中には「うっ」と顔をそむける者もいた。
しかしリーダーにはそんなことが通じるわけがなく。
「いいじゃないか、誰もルックにお金を賭けろなんて言わないよ。僕らは子供だし、この部屋全体の掃除ってことで我慢してもらおうじゃないか」
ね?とにっこりと笑われてしまえば、ビクトールも頷くしかない。どこが子供だ、とツッコミたい思いもあったに違いない。なにせこの少年は相手の一ポッチまでふんだくったことのある強運を持っている。だが、しょせんこの勝負は自分に有利なのだ。ビクトールは、
「その通りだ、ガキに金を払えなんざ言わねえよ。それでいいぜ」
フリックが文句を言い出す前に、勝負開始!とばかりに茶碗とさいころをガスパーから受け取った。
そうしてフリックもルックも不満があり過ぎる中、勝負は始まってしまったのだ。
最初にさいころを持ったのは少年の方だった。周囲は自然と静かになり、聞こえてくるのは「負けたらどうなるかわかってるかい…」と怨念すら込められているようなルックの声だけ。大丈夫、と笑いながら一投目を茶碗の中に放り込んだ。さいころはカラカラと音をたてて転がり続け…
「四、六……三、目ナシだね。もう一回僕の番だ」
目の合わなかったさいころを取り出した。これで五が出れば勝てたのにとぼやきつつ、すぐに二投目を放り込んだ。「もうちょっと考えて投げなよ!」のルックの言葉は完全に無視した。
今度のさいころはなかなか止まらず、みんな息を殺してそれを見守っている。ようやく回転が少なくなり…
「一…、一……」
最後の一つがなかなか止まらない。これで一が出てゾロ目ならば、さきほどのビクトールと同じく三倍払いだ。掃除の三倍払いってどんな感じだ?などと考えた者がいたかどうかは定かではないが、とにかく残り一つの目にその場にいる全員が釘付けになった。
「……六!」
うおおおお、と今度こそ地響きがした、かもしれない。とにかくそれほどの騒ぎにはなった。
強運の少年が六の目を出してきた。対する不運のレッテルを貼られているフリックは、もう四五六を出すか二のゾロ目を出さない限り勝ちはない。
いよいよ不運って感じだな、と呟いたのは酔っ払ったタイ・ホーだったが、フリックの耳には届かなかったようだ。
「僕は六の目だね。 はい、フリックの番だよ」
少年は面白そうにさいころを渡した。ああ、と受け取ったフリックの声には覇気がない。ついでに、顔も真っ青だった。
これはもう誰がみてもフリックの負けだった。つまるところ、ビクトールの負けだ。しかしビクトール本人はにこやかに
「さあフリックくん、サイをふりたまえ!」
などと言うものだから、フリック本人にしてみればオデッサの錆にしたいどころか存在そのものを消したいほどだっただろう。
しかしそんなことすら考える余裕がなかったのか、フリックはふらりと茶碗の中にさいころを放り込んでしまった。
静かだった。少年が投げた時はルックの野次があったが、今度はそれすらもない。茶碗の中を転がるさいころの音だけが全てだった。
糸を張ったようなその緊張感は全てのサイの目が止まった瞬間にぷつりと切れた。奇跡だ、と最初に呟いたのは誰だっただろうか。
「――ど、どうするんだ」
「これは悪いことの前触れかもしれん。絶対そうだ」
「きっと前代未聞の天変地異がくるぞ!」
「やばいな、逃げるか?」
「オレまだ死にたくねーよ!」
皆が口々に勝手なことを言う。しかし言われ放題の本人は、文句を言い返すこともできないほど驚いているらしい。
四、五、六。
茶碗の中にある三つのさいころの目は、確かにその数字で止まっていた。
「フリックの勝ちだーーーーーーーーっ!」
誰かが叫ぶと、今までで最大の大騒ぎが始まった。コボルトたちは騒ぎに乗じて遠吠えをはじめ、エルフは勝利の歌を歌いだす。酔っている者はそうでない者に酒をすすめ、すすめられた方は喜んでそれを受けたのだった。
唖然としているのはフリックだけで、ビクトールはいつの間にか姿を消していた。
青ざめた顔でルックに睨みつけられた少年は、舌を出して一言だけ言った。
「――マケチャッタ」
そうして、現在にいたる。
さきほど満足そうなフリックを見かけたが、ビクトールはまだ姿が見当たらない。
「ほら、ルックは人前で罰掃除なんて嫌だろうから、わざわざ夜にしてもらったんだし」
「これは僕の都合じゃなくて、きみの都合だろ」
ルックの弁はもっともだ。なぜこの罰掃除が夜なのかというと、昼間にそんなことをすると大騒ぎで反対する者が約一名いるからだった。
「仕方ないよ。 人にはどうしても許せないものがあるんだろうし」
人目のつくところでリーダーに掃除などさせたら、彼の付き人が黙っているはずがない。「ぼ、ぼぼぼ坊ちゃんが掃除なんてそんなこと、そんなこと…!」とほうきを取り返し、あげく賭博にあけくれていた者たちに説教を始めること間違いなしなのだ。
「いちいち過保護なんだよ、きみんちは…!」
「はいはい、はじめるよ。 僕がほこりを掃き出すから、ルックは汚れを拭いてくれよ」
少年は無理やりルックを黙らせると、鼻歌を歌いながらほうきを動かしていった。罰掃除とは思えないほど楽しそうな鼻歌だ。
「…きみ、おもしろがってるだろ」
「なんか言ったー?」
この解放軍のリーダーは聞こえないふりが得意らしい。
ルックはこの日最大の溜め息をつき、大人しく雑巾を手に床をみがき始めたのだった。
しかし、さらに数十分後。
「…リーダー」
「なに、ルック?」
「さっき人には許せないものがあるって言ったよね」
「うん」
「悪いけど、僕にもそれがあるんだ」
ルックは立ち上がり雑巾を床に叩きつけると、少年からほうきを取り上げた。
「きみの掃除の下手さといったら、一体なんなんだい!ほうきの持ち方はこう!もっと両手を離して柄をつかんで!隅の方から順に掃いていかないと二度手間になるだろ!」
ルックは少年が掃いた所を、更にていねい且つ手際よく掃き直してゆく。
「――ルック、慣れてるね…」
少年は思わず感嘆の溜め息をもらした。
すると、ルックはほうきを少年の喉元につきつけ、
「…切り裂くよ」
ぞっとするような笑みを浮かべた。
少年はあわてて雑巾を拾い、ルックの掃いた所から床をみがいたのだった。
その後も何回か「そうじゃない、雑巾の絞り方はこう!」などの怒鳴り声が賭場に響いたが、理由を知らない者はまさかリーダーが怒鳴られているとは最後まで気づくことはなかった。
END
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