キャラバンで野営ともなると火の当番を決めなくてはならない。大抵はくじで決めるが、相性やその他諸々の事情もあるので、その辺りのことは臨機応変で変更になったりもする。
今日の当番はキリルとセナの二人だった……はずなのだが、今はハーヴェイとシグルド、そしてシメオンも同席している。最初は二人で小さな声で何気ない会話をしていたのだが、セナの群島解放戦争時の裏話暴露大会に突入すると、それは大爆笑へと変わっていった。その声を聞いて顔を出したのがシメオンで、キリルたちと途中で交代する予定だったハーヴェイとシグルドも早めに目が覚めたのか、間もなくやってきたのだった。 「――でさ、船には懺悔室って部屋もあったんだ」 「懺悔?」 「そう、ツミクイアラタメヨーってやつ」 セナの説明によると、その部屋は船内で迷ったときにうっかり入ってしまいそうな位置にあるらしい。そしてその部屋に入れば他人の気に入らないところを告げ口し、軍主への不満をぶちまけて、あげくみんなへ感謝したり謝ったりしなくてはならない。しかも強制的で、途中退室は認められない。名乗らなくても良いのがせめてもの救いだが、真面目なキリルは心底凄い部屋だと思った。 「でも自分から名乗っちゃうのもいるんだよ」 ほんとバカだよねと笑うセナにつられてキリルもそうだね、と頷く。するとハーヴェイが面白くなさそうに顔をそむけた。 「なんっでセナ様がんなこと知ってんだよ」 「だって裁きの判定してたの俺だもん」 「じゃーオレの頭にタライ落としたのはあんたか!」 どうやら名乗ったバカとはハーヴェイのことらしい。キリルは三年前に初めてハーヴェイと出会った頃のことを思い出してみたが、どうやらあれからあまり頭の中は成長していないと確信して苦笑いをするしかなかった。 セナだけではなく、彼のかつての仲間から聞かされる群島開放戦争の話は、キリルにとって信じがたいことばかりだ。幼い頃から旅をしていろいろな世界を見てきたが、ここまで多様な人間が集まるのも珍しいのではないか。オベル王家にキカ率いる海賊たち、そしてラズリル騎士団をはじめとした各群島の出身者。ネコボルトやエルフは最近ようやく見慣れるようになったが、セナのいう人魚にはまだお目にかかれていない。本人は投網でもしてたらそのうち引っかかるよ、などと笑っていたので、真面目なキリルは機会があれば実行してしまうかもしれない。 「本当にいろんな人がいたんだね。だからクールークの艦隊にも勝て…」 キリルはそこまで言いかけて、あわててシメオンを見た。彼はクールークの人間だし、いくらエルイールから離れたハルナの出身であっても自国の敗北の話は面白くはないだろう。だが、シメオンはにこりと笑って否定した。 「気遣いは要らんよ。エルイールと命がけで戦った群島の君たちには酷な話だが、皇都に近い町村ほどその戦争の事実はあまり知られておらぬ。私は知っておったが、どのみち戦などに興味はない。戦は勝つ方が勝ち、負ける方が負けるだけだ。世の中には勝ち負けよりももっと面白いことがあるからの」 どう見てもハーヴェイやシグルドと変わらない年齢に見えるその端整な顔で、シメオンはまるで全てを達観したような物の言い方をする。 「それに、いろいろな人間が集まっておるのは今も同じだろう? 群島の者たちに加え私もおる。クールークの姫君だっておるではないか。人は集まるところに集まる、そういうことだと私は思うがのう」 そういうものなのだろうかとキリルは思ったが、意外にも隣でセナが深く頷いていた。 「シメオンさんの言うことはもっともだと思うね。実は先の戦争の仲間にも、クールークの将校がいたんだ」 「うそ」 「ほんとだよ。 ハーヴェイとシグルドは仲良かったよねー?」 目を丸くするキリルを見て、シグルドが苦笑しながら頷いた。 「ヘルムートですね。 仲が良かったというか、まぁよく一緒にはいましたけど」 「敵軍の将校か…… どうやって仲間になったの?」 シメオンは人は集まるところに集まると言ったが、例えば倒すべき対象が同じだった場合ならそれまで敵同士だったものが手を取り合うという意味で理解はできる。しかし群島とエルイールの場合は互いを完全に敵とするものだったはずなのだ。キリルには仲間になるきっかけがあったとも思えなかった。 「ラズリルがクールークの部隊に占拠されていて、それをセナ様が取り返したんですよ。そのとき占拠していた部隊の隊長が、ヘルムートという男でした」 「自分一人が首を差し出すから部下の命は助けて欲しいって言ってきてさー」 セナは「誰も殺すなんて言ってないっての」とケラケラ笑った。 「セナ様がヘルムートの首は切らないし部下も殺さないと言われて、それで彼はセナ様に協力を約束したんですよ」 「え、最後まで裏切ったりしなかったの?」 「ええ、真面目な男でしたからね。約束は最後まで守りましたよ」 キリルはふぅん、とわかったようなわかっていないような返事をした。 確かに今はクールークの人間も一緒に旅をしているが、そのヘルムートという男が「約束だから」という理由だけで敵軍に身を置くのは彼ら以上にすごいことなのだとキリルは思う。自分は軍人ではないから理解するのは難しいけれど、しかし少しだけ考えてみる。例えばアンダルクやセネカの命の代わりに自分の首をイスカスに差し出すとする。だがイスカスはそれをせずに自分に協力しろ、と言ったら?自分は彼に協力するのだろうか――… 「エルイールの艦隊だったのなら、おそらくその男は皇王派の者だな」 思考はシメオンの言葉で中断された。顔を上げると、彼が穏やかに笑っている。 「群島の南進計画は皇王の決定と聞く。そして皇王派にとっては皇王の決定は絶対だ。それでいてなお群島側についたのであれば、その男はしっかりと自分の考えを持った人間だったのだろう。助けられた義理からか、クールーク内部に不満があったのか――現在のクールークを見れば後者のような気がしないでもないが、いずれにせよその男が選んだ道は選ばざるを得ない条件があったのであろう」 「…どういう意味?」 「同じ境遇にあったとしても、必ずしも選択肢は同じではないということだ。だから自分がもし同じ立場だったらなどと悩んでも、いつまで経っても答えは出まいよ。時によって物事の条件とは変わってくるものだからの」 年齢不詳の笑みは、どうやらキリルの考えを全てお見通しだったらしい。おかげで答えがわかったわけではないが、答えが出るものではないということはわかった。まだ旅の終わりが見えないキリルには、それだけでも十分勉強になった気がする。今後の状況によって、選択肢も答えも違ってくるのだ。 「――人は集まるところに集まるっていうのは、そういう条件が働いてるということ、だね」 満足そうに頷いたシメオンを見て、キリルは安心したように笑った。 その条件があって、今こうして不思議な仲間たちと一緒にいるのだ。例えば三年前、ミドルポートでシグルドに追い返されなければハーヴェイと出会うことはなかった。またハーヴェイの船に乗らなければキカと会うこともなかったし、キカと知り合いになっていなければオベル王と話をすることもできなかったはずなのだ。それらの出会いがなければクールークに入ることもなく、コルセリアやシメオンとだって会うことはなかっただろう。もしかしたら、そんな不思議な条件を運命と呼ぶのかもしれない。 「ほんと真面目な人でさー。面白いくらい真面目だったから、俺タライ落としちゃったもんね」 「ヘルムートにもやったのかよ!」 「いや、その反応がまた面白かったんだって」 キリルが条件とは何かと定義付けている間に話はふたたび懺悔室に戻っている。同情するぜーというハーヴェイは、言葉とは裏腹にものすごく嬉しそうだ。シグルドはその話をヘルムート本人から聞いたことがあるらしく、「後からユウ先生のところへ湿布を貰いに行ってましたよ。タライが額に落ちたらしくて」と裏話まで暴露している。 その楽しそうな様子に、キリルは声を出さずに呟いた。 (僕もその時にセナ達と出会っていたら、同じ船に乗っていたかな…?) 父を亡くし、なかなか癒えない傷を負ったまま動けないでいた群島開放戦争当時。どんな条件が揃ったのかは想像もできないが、やはり不思議な縁で出会った彼らを、キリルはなんとなく羨ましく思った。 声に出ない代わりに、顔に出ていたのだろうか。シメオンが苦笑しながら、キリルの肩を叩いた。 「なに、当時彼らと出会わなかったことが、今回一緒に旅をする条件だったとでも思えばよい。未来は条件によって変わってくるが、過去を変えることはできんのだ。後はそれをいかに自分で自分を納得させるかということだの」 違うか、と目で訊いてくる。この偉大なる魔法使いは、本当にただの魔法使いなのだろうか。いちいち的確な言葉をくれるのが、魔法のせいだとはとても思えない。 「貴方って本当は何者…?」 「君たちよりもほんの少し長生きしとる者だよ」 「ほんの少しって、どのくらい?見た目はハーヴェイさん達とそんなに変わらないけど」 「だから人を外見で判断するなと言っておろうに」 不思議な縁の中でも、この人が一番不思議だ。キリルはそう思ったが、それも見透かされたようにシメオンが笑ったので、もうそれ以上は考えないことにした。 いつもより少しだけ賑やかな夜。 明日の火の当番もくじで決まる。 END |