目の前に積まれた山のような本の量に、呆れたように溜息をついてみる。
「どうしました、ロイ君?」 「どーしたもこーしたも……」 本の向こう側から覗かせた可愛らしい顔にぐっと詰まりながらも、ロイは隣をちらりと見やってもう一度溜息をつく。 「なんであんたもいるんだよ」 「え、僕?」 意味不明な言葉で綴られている分厚い本から顔を上げ、きょとんとした目を向けてくるのは嫌ってほどそっくりな顔立ちの王子様。 「ったりめーだろ! リオンに呼び出されて来てみりゃお勉強始めましょうとか言うし、二人っきりだと思いきや隣の席には王子さんときた! 意味わかんねぇ!」 肩で息をする勢いで怒鳴りちらしてみたが、本人はう〜ん、と少しだけ首を傾げるだけ。その仕草すらもそっくりなのだが、どう見ても王子の方が上品だ。ちくしょう。そして、 「えーと……うん、だから一緒に勉強しようってことじゃないかな」 にっこりと笑んだ王子は、ふたたび本に目を落とした。リオンも「何をそんなに怒ってるんですか?」などと不思議そうな顔をしている。 ああ、一体なんでこんなことに。ロイは三度目の溜息をつきそうになるのを我慢しながら、記憶を遡ってみた。 ほんの少し前のことだ。王子の遠征もなく、それなら当然のように影武者任務もなく。さて今日は何をしようかと城内をぶらついているところを、軍師に捕まった。 「ああロイ君、ちょうど良かった」 いつもの如く得体の知れない笑顔で呼び止められると、嫌な意味でどきりとする。ちょうど良かったとは言うけれど、おそらくそれは多分ぜったいこっちの都合に照らし合わせれば間違いなく真逆の意味だ。背中に一筋冷たい汗が流れ落ちたが、しかし逃げ出すわけにもゆかず。とりあえず用件を訊ねてみると。 「リオンさんがロイ君を探していたんですよ。 どうしても図書室まで来て欲しいって」 とっても急いでいたみたい、とまで付け足した。 「……リオンが?」 「ええ、リオンさんが」 「オレに来いって?」 「ええ、ロイ君に」 「リオンが、王子さんにじゃなくて、オレに来いって?」 「はい。 リオンさんが、ロイ君に、来て欲しいって。 どうしても、と」 ご丁寧にも単語を区切ってまで説明してくれた軍師に、ロイは礼も言わずに走り出した。 あらあらうふふふといった笑い声が響いたが、その声はロイの背中に届きこそすれ耳に入ることはなかった。あったとしても、そんなことを気にしている余裕はない。リオンが俺を呼んでるって!それだけで勝手に足が動く自分がちょっと凄い。女一人のためにこうなってしまうんだから多少は情けないと思うことが無いことも無いが、しかしそんなことにいちいち構っていられるはずがない。自分はリオンに会えればそれで良いのだから。 と、短い回想を終えて、ロイは今度こそ三度目の溜息をついた。 「――やっぱり納得いかねえ」 どう考えてもおかしい。いや、別におかしくはないのだ。王子が一緒に居るのは計算外だったが――そもそもリオンが王子から離れることは無いのだから、予想していない方が甘かった――軍師の言う通りリオンは自分を探していてくれたらしいし、実際図書室で待っていてくれたのだ。 しかし。 「なんでオレがこんな本の山と睨みあわなきゃなんねえんだ」 「ルクレティアさんは何も説明してくれなかったんですか?」 首を傾げるリオンをちらりと見て、つまらなそうに返事をした。 「説明もなにも、あんたが呼んでるとしか言われてねえよ」 もっとも軍師に説明する気があったとしても、先に飛び出して来てしまったのでは意味がないのだが、それはあえて置いておく。 「確かにロイ君を呼んだのは私ですけど……。 ほら、ロイ君はいつも王子の影武者を頑張ってるじゃないですか」 「うん、頑張ってる頑張ってる。 すげー頑張ってる」 「……そういうのは謙遜して下さい。 で、これからもその任務が続けば、もしかしたら実際に王子として戦場に立ってもらうことだってあるかもしれません」 ロイはぐ、と詰まった。 確かにこれまではこの湖の城で王子の不在を相手に悟られないようにと、王子の格好をしてただ留守番をしているだけだった。しかし戦況はいつどこで難しくなるか判らないし、そのときに自分が取るべき行動は一つしかないのだ。 ――言うなれば、王子の身代わり。 「ま、有り得ねえ話じゃねえだろな」 「私だってロイ君にそんなことをしてもらう状況は嫌ですけど……でも、でも…」 リオンが言葉を濁す。 けれどロイにだってその先のことは判る。リオンは王子の護衛で、それは何よりも優先すべきことなのだ。だから、いくら彼女が強い少女だといっても言いにくそうにしているのは彼女の優しさなのだろうし、きっとその答えはとても残酷なんだろう。 「それってオレが王子さんとして捕まったりしたときに、偽者ってバレたらヤバイってことだろ。 いくら顔がそっくりでも、内面までは誤魔化せないかもしれないってよ」 「……はい」 リオンがあまりにも肩を落とすので、ロイは可笑しくなった。 実際、影武者なんてものはいざというときに代わりに死ねという役割なのだろう。捕まってすぐに正体がバレたら時間稼ぎにもならない。無駄死にで終わるだろう。 「つまり、だ。 捕まったり…ってまぁそんな展開はオレも御免だけどよ、とにかく王子さんのふりをしてるときに相手と対峙したら本物だって思わせなきゃならない。 だからちょっとでも教養を身につけろってこと言いたいんだろ、あんたは」 できるだけ軽く言うと、リオンも少しだけ表情を和らげた。 「そこまで直接的に言われると返答に困りますけど…でも、間違いじゃありません」 「あんたの返答も充分直接的だっての。 ま、言ってることは理解できるし、やらなきゃなんない事なんだろうなーとはオレも思うけどよ……」 隣で王子が読んでいる物とは比べ物にならないほど薄い本を一冊だけ取り上げ、パラパラとめくってはみたものの、結局はまた目の前の山に戻した。 「……でも、やっぱりガラじゃねえな、こういうのは」 「判ってますよ。 でもロイ君が土壇場で偽者だとバレてしまったら、相手だって逆上して何をしでかすか判らないでしょう? それならロイ君ができるだけ王子らしく振舞った方が…まだその方が安全だと思うんです」 そんな真剣に力説されても、とロイは嘆息した。 影武者を引き受けたときからそれ相応の覚悟はしているつもりだし、どのみち敵と対峙したら正体が何であれ危ないことには違いないのだ。それはロイだけでなく王子だって同じことだし、王子の護衛であるリオンもまた然り。誰もが命を張らねばならないのが戦場なのだから…と思い至って、ロイはあれ、と一つ気がついた。 リオンが教養を勧めるのは王子の影武者を完璧にするためだ。つまりそれはいざという時の時間稼ぎをできるだけ長引かせるためなのだろうとロイは思っていた。だが、リオンはそれとは違うことを言う。――その方が、安全だと思うんです。 知らず知らずのうちに口元がにやけてくる。 「――なに、あんたオレのこと心配なわけ?」 素直に嬉しいと思う。これまで危ない橋はいくつも渡ってきたけれど、こうして心配されるのは初めてかもしれない。とても気持ちが良いし、ましてや、相手はリオンだ。いつだって何よりも王子のことしか考えてなさそうなのに、こういう風にたまに表に出てくる優しさがたまらなく好きだ。 山積みの本を挟んで嬉しそうに笑うロイに、リオンが何か言おうと口を開いたとき、しかし声は意外なところから聞こえた。 「え、僕は心配してるよ」 なぜか、返答が隣から。 いつの間にか本から顔を離していた王子が、きょとんとした瞳を向けている。 「あんたにゃ訊いてねーよ! つーか本読んでたんじゃねえのかよ!」 「本を読んでたって会話くらい聞こえるだろう。 それに訊かれなくても心配なものは心配なんだ」 「……王子さんに心配されてもよ」 がっくりと力が抜ける。もとはと言えば、自分が影武者をしているのはこの人物のためなのだから。 「僕だけじゃなくて、リオンだってちゃんと心配してるんだよ」 「もちろんです。 王子の代わりにロイ君が怪我なんてしたら、王子自身もお心を痛めることになるだろうし……」 「結局は王子さんかよ!」 「当たり前じゃないですか」 即答されて、思わず舌打ちをする。つい一瞬前までの舞い上がった気分が一気に突き落とされた。判っていたことだけれど、やっぱり腹が立つ――というより、とにかく悔しい。リオンの優先順位は何をおいても王子が一番で、その下とその下も王子で、きっと王子以外のことはそれらの遥か下の順位なのだろう。 あーあ、と面白くなさそうに呟いてみると、リオンが不思議そうな顔で首を傾げた。ちくしょうそんな顔も可愛いなと思いながらちらりと隣に視線を向けると、やっぱり不思議そうな自分とまったく同じ顔と目が合った。 なんだかもう、いろいろ考えてこの二人に振り回されるのも疲れたかもしれない。ロイは諦めたように四度目の溜息をつくと、先ほど放り投げた本を手に取った。 「……仕方ねえからやってやるよ」 それは軽くめくった限りではそんなに難しくもなさそうな本。王子が読んでいる本よりずっと文字は大きいし、厚さも半分以下だ。いちいち差がついてしまうのは癪だったが、それもまあ仕方ないと思って諦めるしかない。同じ顔を持つ王子様は、自分を含めて誰もが認める傑物なのだから。 「ロイ君…! はい、頑張りましょう!」 うん、リオンのこの笑顔を見れただけでも良しとするか。 我ながら単純だと思いながら、ロイは緩む口元を本で隠した。 E N D ===================== 書かなきゃ良かったオマケ ===================== 「なーなーリオン。 オレ頑張ったんだし、何か褒美くれよ」 「ご褒美、ですか?」 「そ。 言われた本は全部読んだんだぜ? そのくらいいいだろ」 「そのくらいって……ロイ君は何が欲しいんですか」 「いや欲しいっつーか、二人でどっか遊びに行」 「無理です。 私は王子のおそばを離れるつもりはありませんから」 「即答かよ!っていうか最後まで言わせろよ!……相変わらずつまんねぇ反応する女だな」 「そんなに褒美が欲しいなら僕があげるよ、ロイ」 「……あんたには何も期待してねえけど、とりあえず聞いてやるよ」 「太陽宮を奪還できたら、一番初めにリムを紹介してあげよう」 「このシスコンバカ王子…… そんな褒美、誰がいるかよ」 「王子に向かってバカとは何ですか! いいですか、ロイ君。 王子自らが男性に姫様を紹介するなんてことは滅多にないんですよ? あのカイル様でさえ半年かかったというくらい、これはすごく光栄な…」 「あーうっせー! もういい、聞いたオレがバカだったよちくしょう!」 王子は気に入った人とか認めた人にしかリム姫を紹介しない人だといい。 っていうか名前だけ出して申し訳ないけどカイルがとても可哀相な設定に。 |