時 間 潰 し





 少年は暇を持て余していた。もともと暇だったわけではない。暇にさせられたのだ。
「貴方は軍主なのですよ。奥でどっしり構えて頂くだけで結構なのです」
 マッシュがそう言って少年が片付けていた書類を取り上げたのは、ほんの数分前のことだ。
 でもそのくらいなら僕にもできるし、と少年は反論したが、「軍主殿がそう云われること自体が問題なのです」と一蹴された。

「どうしよっかなー…」
 少年は呟きながら階段を下りていった。エレベーターを使えばすぐに階下へ降りられるが、急ぐわけでもないし、むしろ階段を下りることすらも時間潰しには丁度良かった。
 この本拠地の中にはいろいろなタイプの人間がいる。軍事の一切を任せていると言っても過言ではないマッシュを筆頭に、少年の姿を見かければ敬意を表して頭を下げる大人がたくさんいた。もともとの解放軍からいる者たちは例外だが、むしろ礼を欠いている――彼にとってそれは一つの救いでもあったが――のは少年と年の近い者たちばかりで、シーナなどにいたっては父親であるレパントの半分もその気がない。今も「女の子と遊ぶときはオレも誘ってくれよなっ」と鼻歌を歌いながら通り過ぎていった。
 そのいろいろなタイプの中でも、あの石版の前に立っている彼は特に変わっていると少年は思う。変わっているというよりも、このタイプの人間と関わりを持ったことがない、と言ったほうが正しいのかもしれない。――もっとも、それほど深く付き合った友達がたくさんいたわけではなかったが。

 少年は石版のある部屋に下りてきていた。
「やあルック、元気?」
「またヒマなのかい、星主殿。きみって本当にリーダーなわけ?」
 ルックは口を開けば嫌味しか言わない。そして名前で呼ばない時は、少年を軍主ではなく「星主」と呼ぶ。
 以前、少年はそれについて訊ねたことがあったが、「ちょっと考えれば分かるじゃないか。軍の中心にいる者を軍主と呼ぶなら、星の中心にいるのも星主だろ」と馬鹿にしきった態度で返されてしまった。
 深く追求すればまた嫌味を沿えて説明してくれるのだろうが、彼にとってそれ自体に意味があるとは思えなかったので止めておいた。何よりも一緒にいたグレミオが「まったく、最近の子供は!」と憤慨しながら少年を引っ張っていったため、その話題は中断されてしまった。
「本当は僕も何かやらなくちゃダメなんだろうけど、マッシュがうるさくてね。ルックならヒマ潰しの方法を教えてくれるかなと思って」
「きみと一緒にしないでくれるかい。僕は潰すほどの時間を持ち合わせたことはないよ」
 相変わらず嫌味な答えだった。
 しかし、少年はいつも彼を面白いと思う。
 こちらがどんなに嫌味を言おうと、ルックは平気な顔をしてそれ以上の言葉を返してくる。しかも即答だ。つまり彼は非常に頭がいいのだ。おそらく知っている言葉の数が半端ではない上に、頭の回転が早いのだろう。
 確かに少年はこんな人間――しかも自分と年齢もそう変わらない少年――とまともに話をしたことがなかった。

「この前はマリーさんを手伝ってベッドメイクしてたらレパントに嘆かれたし、グレミオにジャガイモの皮むきを手伝おうかって言ったら、マッシュと同じことを言いながら厨房を追い出されたし。クレオなんかは割と話がわかるんだけど、結局は根が真面目だからね……」
「だからって何で僕のところに来るのさ。僕が不真面目で丁度いいって言われてるみたいで物凄く不愉快だよ」
 ――うん、やっぱり面白い。少年はそう思いながら表情には出さず、眉を寄せながら文句を言うルックの隣にすとんと腰をおろした。
「ちょっと…!僕はヒマじゃないって言っただろ!」
「でも僕はヒマなんだから仕方ないだろ。ルックの邪魔はしないから、ここに座るくらい大目にみてよ」
 真顔でさらりと言ってみると、ルックは盛大に舌打ちをしてそっぽを向いてしまった。

 少年は石版の前に座り、何をするでもなかった。
 ルックに話し掛けるわけでもなく、石版に刻まれた名前を眺めるわけでもない。ただじっと棍を肩に立てかけ、あぐらをかいて座るだけ。
 目を瞑ることもせず、何もない正面を見つめるだけだった。
「――それ、瞑想のつもり?」
 ふいにルックが話しかけてきた。いい加減少年を邪魔だと思い始めたのかもしれない。
「違うけど…ほら、僕って瞑想なんて滅多にしたことないし」
「だろうね。リーダーに成り得る人間ってのは瞑想には向かないもんだよ」
「ルックはいつも瞑想してるの?」
「…たまにね。ここでは魔力を解放する修行はできないから、せめて集中力を高めることはしておかないとね。いざって時に役に立たなくなる」
「きみの魔力って、解放するとどのくらいになるの?」
「さあ?人のいる場所では全開で使ったことがないから知らない。ま、無抵抗って条件があるならこの城にいる人間くらい皆殺しにできると思うけど」
 あまりにも簡単に言うので「冗談だろ?」と訊ねたくなる。しかしルックは冗談を言っているわけではないらしい。
 少年はごくりと唾を飲み込むと、「へえ、そうなんだ」と言うのが精一杯だった。

 また、沈黙がおちた。
 少年としてはそれでも構わなかったが、しかしルックの方はどうやら違ったらしい。嫌味なほどに長い溜め息をついて、少年の隣にどかっと音を立てて腰をおろした。
「…邪魔はしないってきみは言うけどね、ここに居られるだけでもう邪魔なんだよ。ちょっとなら話し相手になってやるから、すぐに他をあたってくれよ」
 ルックは少年と同じようにあぐらをかき、不機嫌そうにロッドを肩に立てかけた。
 少年はくすりと笑った。
「――僕ってさ、テッド以外にまともな友達がいなかったんだ。何につけても将軍家の子供っていうのがあったから、帝都の同年代の子たちは遠巻きに僕を見るか取り入ってくるかの二つに一つだった」
「…テッドって魔術師の塔にひっついてきた生意気な奴のことかい?」
 少年は(そんなこと、テッドもルックにだけは言われたくないだろうな)と思い苦笑しながら、そうだよと言った。
「だから、こうして同年代の人間が僕と対等に話してくれるのが素直に嬉しいんだ」
「…僕は今そのせいで迷惑してるんだけどね」
 ふん、と鼻を鳴らされた。少年はそれすらも面白いと思った。

 ルックは「ちょっとなら」と言いながらも、何だかんだと少年の話に付き合った。嫌味も毒舌も相変わらずだったが、話題を振れば乗ってくれる。人を食った態度ではあるが、決して話し下手でも聞き下手でもないことが分かった。
 大抵のことは訊ねれば答えてくれたが――星主の呼び方については結局そのままだが――しかし彼の出生や真の風の紋章のことになるときつく眉をひそめた。
「それに答えなきゃならないのはリーダー命令かい?」
「違うよ。もちろん言いたくなければ言わなくてもいい。この城にはそんな人間がたくさんいるしね」
 つとめて軽く言うと、一瞬の沈黙のあとに面白くなさそうな声が返ってきた。
「…僕は言いたくないんじゃない。言う義理がないだけだ。その辺りのことは誤解しないでくれるかい」
 冷たい目で睨まれて、分かったよ、としか少年は言えなかった。
「きみを導いた占い師の弟子、それが僕さ。きみが知るのはこれだけで十分だろ?真の紋章なんかに関わったっていいことないし。ああ、きみ自身がすでにいいことナシな状況なんだっけ」
「…本当にルックの嫌味はいつも絶好調だね」
「失礼だな。僕は嫌味を言ってるんじゃない、思ったことと真実を言ってるだけださ」
 その弁舌自体が嫌味なのだ、と少年は溜め息をつきかけたがあえてやめておいた。この場にグレミオが居ようものなら物凄い剣幕でルックに怒鳴りつける――そしてルックはそれをサラリと百倍もの威力の毒舌できり返してくれる――だろうが、幸か不幸か今日の彼は厨房でニンジンの皮むきに勤しんでいた。
 ふと、ルックが綺麗な顔を少年の方に向けた。少年は何となく確かに彼は少女のような顔立ちかもしれない、と思った。そういえばシーナが来城した時、女の子と間違ってルックをナンパしたという噂が立ったが、それもあながち間違いではないのかもしれない。
「なに、ルック?」
 少年は訊ねたものの、もしかしたら返事は返ってこないのではと思った。
 ルックの表情は相変わらずにこりともしないものだったが、しかしいつもの仏頂面とは少し違っていた。不機嫌とは違う、まったく感情の読めない無表情だ。
 だが、返事は間もなくあった。よく理解できない言葉の羅列で。

「…きみはレックナート様がずっと待ち続けておられた人間だ。だからきみは僕の星主であり、解放軍の軍主だ。導いたのはレックナート様であっても、切り開くのはきみなんだ。…忘れないで、きみの運命はきみが進む。それがこの軍のためになり、レックナート様のためになり――僕のためになる。忘れないで、未来は紋章のものじゃない、きみのものだ」

 占い師には、予見する事柄を話す場合には抽象的に表現しなくてはならないという決まりでもあるのだろうか。レックナートも、ルックも、少年にとって難しいことを平気で言う。そして理解しろと、忘れるな、とも言うのだ。
「…どういう意味か、よく分からないんだけど。それはレックナート様が言ったのかい?」
「あの方は関係ない。あくまでも僕個人の意見だよ。…でも、時にはレックナート様より僕が正しいこともあるかもしれない。だから言ってみた――僕は占い師ではないけれど」
「レックナート様よりルックが正しい…」
「真の紋章は戦争の道具じゃない。それのきっかけにはなることは多々あるけれど、所詮はただの呪いだよ。そしてそれは個々によって少し違う。あの方には視えなくて、僕にだけ視えてしまうこともいくつかあるから」
 少年はやはり意味を理解できなかったけれど、しかしとても重要なことなのだろうということは察した。
「今は理解できなくても……いつか理解できる日がくるかな?」
「そうあることを願ってるよ、星主殿。きみがどんなにヒマなリーダーであっても、そこまでバカじゃないとは信じてるからね」
 そうじゃなきゃ僕等は救われない、ルックはそう言っていつもの人を見下したような笑みを浮かべた。

 少年が腰を上げたのはそれからしばらく経ってからだった。
「さて、と。ルックの邪魔になるから退散しようかな」
「――今更何を言ってんだか」
「はは……まあ、これからガスパーの所でも行って一儲けしてくるよ。なんか最近は負け知らずでさ」
 軽く笑うと、ルックが呆れたように肩を竦めた。
「お坊ちゃんの言葉とは、とてもじゃないけど思えないね。この前はタイ・ホーからも巻き上げただろ?そんなに稼いでどうする気だい」
「特にどうするわけでもないけど……そうだ!たまにはルックも一緒に行かないか?どうせグレミオに見つかったらすぐに連れ戻されちゃうけど、それまでなら時間潰しにもなるし…」
「さっきも言っただろ。僕は潰すほどの時間を持ち合わせてない」
「じゃあこれがリーダー命令なら?」
 冗談っぽく言うと同時、ルックの綺麗な顔がこれでもかと云わんばかりに嫌そうに歪んだ。
 それが面白くて、少年はたまらず笑い出した。
「やっぱりルックって面白いよね。ただのひねくれ者だと思ってたけど、とんでもない。これ以上にないってくらい正直者だよ」
「…きみはこれ以上にないってくらい失礼な人間だよ」
 ばかばかしい、とぼやきながらルックも立ち上がった。ぱんぱんと法衣についた埃を払い、部屋から出ようとする。
「あれ、ルック何処かに行くの?」
 彼が石版から離れるのは珍しい。
 少年が小首を傾げると、ルックはげんなりした様子で振り返った。

「――だって、リーダー命令なんだろ?」


 少年は久々に腹を抱えて大笑いした。









END




TOP