比 翼 の こ ど も た ち


「よう、美少年! これから稽古か?」
 背後からハートマークと一緒に飛んでくる威勢の良い声に、トーマはげんなりとした表情で振り返った。
「ニフサーラさん、オレの名前はトーマだって何年も前から言ってんだろ。 いい加減美少年って呼ぶのやめろよ」
「いいじゃないか、美少年。 減るもんじゃないし」
 いや、なんとなく何かが減りそうで嫌だから言ってるんだけど。
 などとは口にせず、とりあえずトーマは苦笑する。この人は昔から美少年がどうだとかやましかったけれど、最近ではそんなにうるさくなくなってきた。彼女の主が言うには「君も成長してしまったからだろうねえ」らしいが、トーマ本人はその意味が理解できていないので、彼の中で理由は謎のままになっている。
「ニフサーラさんは何やってんの? シュラ様んところ離れて大丈夫なのかよ」
「ああ、今はシャルミシタとお仕事をされているよ。 私みたいな護衛は外出が無い限りあんまり用はないんだよ」
 ふうん、ととりあえず頷いてみる。そこは女王騎士とは少し違うところだ。
 現在ファレナでは女王騎士長の代理が一人、正規の女王騎士が二人いる。女王騎士の一人はその名の通り常に女王付きの護衛で、もう一人は女王騎士長の護衛をしている。その姿は仕事をしようが休憩をしようが常に共にあり、それぞれが一人でいるところはほとんど見ることがない。
 しかしそれはファレナ女王国の風習であって、他国もまったく同じというわけではないのだろう。先日、騎士長代理が群島諸国が一つオベル王国へ赴き、帰ってきたときの土産話も傑作だった。あの国は、国王自らがたった一人で漁船を出し、沖合で漁をしているらしい。巨大な軍船をいくつも抱える、あの国の長たる者が。世界はあなどれない。
「ま―…ファレナはファレナだしな。 女王陛下は常に女王騎士がお守りしなきゃ」
 今はまだ見習いだが、いつかは自分もあの可愛らしくも美しい女王を守れるようにならなくては。トーマは自身に渇を入れた。しかし、ニフサーラはそんなトーマを意外そうな顔で見ながら言った。
「おや。 それならそこの柱の影からこっちを覗いているのは女王じゃないのか?」
「えっ!?」

 指された先を見ると、慌てて姿を隠したのだろうか、まったく隠れていない亜麻色の髪が揺れていた。ついでに言えば女王の証たる太陽を象った王冠も見えているし、何よりも長い服の裾がひらひらと風になびいている。
 もしかしてそれで本当に隠れているつもりなのだろうか、と考えが至ると可笑しくなってきた。いつも毅然とした態度と愛らしい容姿で太陽宮の宝石とすら称される女王だが、騎士長閣下――代理だが――が甘やかすせいか、こういった抜けきれていない子供らしさも持ち合わせている。トーマはそれがすごく好きだった。
 ――といった自分の思考に思わず赤面してしまったトーマは、咳払い一つでそれを誤魔化した。誰に誤解されたわけでもないのだが、なんとなく言い訳の代わりをしたかったのかもしれない。不審がるニフサーラには何でもないと目で訴え、足音を絶って、その柱に近づいた。すぐ後ろまで来ているのに、女王は一向に気づかない。やはりそれが可笑しくて、本当は少しだけ驚かそうなどと恐れ多い悪戯心もあったのだが、諦めて普通に声をかけた。
「陛下、何をされてるんですか」
「ひゃ!」
 普通に声をかけたはずだったが、女王は想像以上に驚いたらしく、転びそうな勢いで振り返った。思ったより近い距離で目が合う。色の種類などそんなに詳しくなかったトーマだが、太陽宮に来てからは一つだけ、新たに色の名前を知った。女王の目の色は琥珀色というのだそうだ。その琥珀色に自分の姿が映っているのが見えて、なんだかとても気恥ずかしくなる。
「す、すみません…! オレ、そんな驚かせるつもりじゃなくて……!」
「い、いや…わらわの方こそ、変な声を出してすまぬ。 ト、トーマ……その、そうじゃ、兄上を見かけなんだか」
 いつも謁見の間で聞く毅然とした声とは違い、少女らしい少し高めの声で女王は言った。身長差があるのだから当然だが、どことなく頬を染めて見上げてくるのは反則だと思う。間近で見れば見るほど完成された人形のような顔は見ていて飽きない――けれど、この距離でうっかり見惚れてしまえばいくら女王騎士見習いといえど不敬罪になるだろう。トーマは慌てて目線を少しだけ落とした。
「え、えと、イシル様に用事ですか? 言ってくださればオレが探しに行きますよ。 陛下自らがお探しにならなくても――…」
 そこまで言いかけて、ふとある事実に行き当たる。どうして女王は一人でいるのだろう。本来後ろに控えているべき人物が見当たらない。辺りを見回してみても、その姿は視界に入ってこなかった。
「――どうして陛下はお一人なんですか。 ミアキス様は?」
「へっ? あ、そ、そう……ミ、ミアキスのことも探しておったのじゃ!」
「え、ミアキス様もいないんですか?」
 なんとなく女王が必要以上に狼狽していたようだが、それはあまり気にせず、トーマは珍しいこともあるものだと思った。
 ミアキスといえば女王付きの女王騎士だが、二人はまるで本当の姉妹のように仲が良い。兄である女王騎士長代理でさえ入り込めないこともあるらしい。
 そのミアキスがいないというのであれば、ますます女王を一人にしておくわけにはいかない。
「じゃあ陛下、お送りしますから部屋でお二人を待ってて下さい。 オレが探してきますよ」
「……そなたが送ってくれるのか?」
 小首を傾げるような仕草で訊かれ、トーマは思わずう、と詰まった。恐れ多いことだが、今の心中を言葉にすると「かわいい」だ。が、そんなことなど口が裂けても言えるわけがない。一呼吸置いてから、頷いた。
「陛下が……その、見習いのオレでも構わな」
「構わぬ」
 情けないことに語尾がだんだんと小さくなっていった言葉が、毅然とした声に遮られた。
「え…」
「だから、構わぬと言ったのじゃ。 トーマ、参るぞ」
 きょとんとしたトーマを置いて、女王はさっさと踵を返した。その際、蚊帳の外となっていたニフサーラに一瞥を投げたように見えたが、それはトーマの気のせいだったかもしれない。
 慌てて振り返り、軽く手を振った。
「じゃ、じゃあな、ニフサーラさん! オレ、陛下を部屋までお送りしてくるから」
 ニフサーラも軽く手を振り返したが、すぐに女王の後を追ったトーマはそれを見ることはなかった。だから、こっそり呟かれた言葉と悲観にくれた溜息も、当然のように届いていなかった。
「――惜しいな、こうしてあの子はまた男になっていくのか……ああ惜しい。 せっかくの美少年が……ああまったくもって惜しい、惜し過ぎる」


 女王が先を、一定の距離を保ちながらその後ろをトーマが。部屋までの廊下を、変哲のない会話をしながら二人は歩いた。部屋といっても謁見の間の奥にある私室ではなく、公務をする部屋の方だ。女王が公務をこなすのはその部屋か、謁見の間のどちらかになる。女王騎士見習いのトーマはそのどちらの部屋にも縁がなく、ほとんどは訓練所か詰め所にいることが多い。そんな理由もあって、トーマが女王の後ろを護衛する形で歩くのはこれが初めてだった。
 あまり歩くことのないこの廊下も、小さいながらぴんと伸ばされた女王の背中も、トーマにとっては新鮮だった。
「そういえば、トーマ」
「はい」
「そなたが太陽宮に来てから、どのくらいになる?」
 振り返らず、歩みも止めずに訊ねられる。普段から年月を気にしているわけではないので、この唐突な質問には指を使って記憶を辿った。
「えーと、そろそろ二年になります」
「その間にそなたもいろいろと変わったのう。 来たばかりの頃は言葉遣いも今と全然違っておった」
 どこか笑いを含んだ声に、その頃の自分を思い出して嫌な汗が背中を伝った。内紛時からの付き合いがあったとはいえ、ずいぶんな態度で王宮へ上がったことは、今となっては恥以外の何物でもない。女王陛下の御前で、騎士長代理を王子様、女王騎士殿を姉ちゃん呼ばわり。最悪だ。
「あ、あの頃は本当にご無礼を……」
「いや、無礼だと思うたことはない。 それに、そなたは内紛時から兄上達と親しかったではないか。 それならそなたは兄上の友人ということじゃ。 だから……」
 ふと、女王の歩みが止まった。それに合わせてトーマも止まる。どうかしたのかと気にはなったが、顔を覗き込むことはせずに次の言葉を待つ――が、それはなかなか出てこない。
「……陛下?」
 促すように声をかけたら、女王は弾かれたように振り返った。意外なことに、真っ赤な顔で。
「だ、だから…っ わらわのことも友人と思ってくれても良いのじゃ!」
「はあっ!?」
 想像もしなかった言葉を投げかけられて、トーマも思わず素っ頓狂な声を張り上げる。
「わらわと話すときも、今しがたニフサーラ殿と話しておった言葉遣いでも良いのじゃ」
「な、何を言ってるんですか陛下! オレみたいな女王騎士見習いがそんなことできるはずないでしょう!」
 本当に何を言い出すんだこの女王陛下は。トーマの頭の中は真っ白だった。ただでさえ過去の自分を恥ずかしいと思うのに、それをやれと言うのか。よりによって、この女王陛下に。
 置いていた一定の距離を越えて、女王はトーマに食い下がった。
「では、せめて陛下と呼ぶのはやめて欲しいのじゃ。 なんだか、壁を感じてしまって……とにかく嫌なのじゃ!」
「そんな、壁って言われても……他にお呼びのしようがないじゃないですか」
「わらわにだって名前くらいあるのじゃ、呼び捨てで構わぬ。 まだ内乱前であったが、ゲオルグに同様のことを言ったらあっさり承知しおったぞ。 他の兵たちの手前ではそうもゆかなんだが」
「ゲ、ゲオルグ様は特別です! フェリド様のご友人だったって聞いてますよ。 だから、ゲオルグ様にとっても陛下は娘…とまでいかなくとも、それに似た対象だったんじゃないですか。 オレとは立場が違います」
 今はもうファレナにはいない、左目を隠した女王騎士を思い出す。それはまだ故郷が砂にまみれていた頃で、自分の命を救ってくれたのは、王子と他でもないその女王騎士だった。幼いながらも、彼の強さは本物だと思ったものだった。
 その女王騎士を引き合い出されても、素直に承知しましたとは言えない。いや、余計に頷くわけにはいかなくなった。女王自らが見習いである自分をそこまで特別扱いしたら、絶対に慢心しないという自信がトーマにはない。好意を寄せている相手なのだから、それは尚更だ。
「だから困ります、陛下」
 眉を寄せて、はっきりと断った。いつも強気な女王のことだ、眉をつりあげて「勅命じゃ!」の一言が出てくるかもしれない。けれど予想外なことにそれはなく、まるで大人に怒られた子供のようにしょんぼりと俯いてしまった。
「――わらわは女王騎士たちとはもっと近い位置にいたいと思っておるのじゃ。 ミアキスやリオンはわらわが幼い頃からおったゆえ、兄上と変わらぬ家族のようなものじゃ。 だから、後から入ったそなたとも……」
「あ……」
 この女王が家族に愛されて育ったのは、見ていればわかる。現に女王騎士長代理の溺愛ぶりはすさまじい。けれど、それがある日突然に崩壊してしまったのを、女王は今よりもずっと幼い身で経験しているのだ。いくら時間が経ったとはいえ、この若い女王にとって内紛時の女王騎士の裏切りは、決して遠い記憶ではないのだろう。トーマを信じていないというわけではなく、ただ漠然と不安なのかもしれない。おそらく、絶対の忠誠を誓う者をより信頼したいという、女王の願いでもあるのだ。
「陛下…」
「リムスレーア、じゃ」
 少し拗ねたような声で言われると、一気にぐらついてしまう。こうまでされて頑なに拒んでいると、なんだか自分が間違ったことをしているような気すらしてくる。頭の中は「どうしよう」の文字がぐるぐると回るばかりで、一向に解決の糸口は見つからない。
 女王はどうやら引くつもりはないようだし、これはもう仕方ないと、トーマは意を決して女王の名を呼ぶことにした。
「リ、リムス……」
 けれど、最後まで口にしようとすると、なぜか満面の笑みで三節根を構える騎士長代理の姿が頭に浮かんだ。
「や、やっぱり無理ですっ! オレ、イシル様に殺されますよ!」
「兄上がそんな無体なことをなさるはずがなかろう!」
 それはそうなのだが、いやしかし有り得ない話ではない。だって三節根だぞ?満面の笑みだぞ?戦闘態勢だったぞ?脳裏に浮かんだ女王の兄は、すぐにでも仕掛けてきそうだった。
 なんだか泣きたい気分に駆られながら、トーマは一つの条件を出すことにした。
「で、では陛下、せめて‘様’をつけてもいいですか。 とてもじゃないけど、オレは呼び捨てなんてできません」
 自分でも情けないと思うような声だった。しかし、これ以上は譲れない。これで女王が譲歩してくれなければ、本当にどうしたら良いのかわからなくなる。
「……そなたとわらわは歳も同じじゃ。 様などと呼ばれてもくすぐったいわ」
「か、勘弁してください、本当にこれが限界ですよ!」
 おそらく顔までも情けないことになっていたのだろう。俯いた顔を上げて、揺るぎない視線でトーマを見上げていた女王の大きな目が、ふと緩んだ。
「――仕方がないのう、それで許すか」
 くすくすと肩を揺らし始めた主を見て、トーマは深い溜息をつく。全身の力が抜けそうだった。こんなに焦ったのはいつ以来だろうと思ったが、その記憶を辿るのもなんだか疲れてくるのでやめておいた。
 そして、ほどなくして探し人が見つかったときは本当に安心した。

「陛下ぁ! 一体どこに隠れてたんですかぁ!」
 姿を見るなり駆け寄ってきたミアキスに、女王は後ずさり、トーマは口を尖らせた。
「隠れてたって……違うよ、イシル様とミアキス様を探してたんだよ」
「いいえ違いますぅ。 陛下ったら私の目を盗んで突然いなくなっちゃったんです。 おかげで私は女王騎士の面目丸つぶれですよぉ! 逃げ出すほどご公務がお嫌なら、ちゃんと休憩していただくのに……って、あらぁ? あらあら? あらあらあら?」
 いつもの桃色の頬を少し上気させて、女王はいつの間にかトーマの後ろに隠れてしまっていた。その様子にトーマは不思議そうに首を傾げる。そんな二人を交互に見て、ミアキスは何かひらめいたようにうふふと笑った。
「陛下ぁ」
「な、なんじゃ、ミアキス」
「そういうことは先に言ってくれなくちゃダメじゃないですかぁ」
「よ、よよよ余計なことを言うでない!」
 どうやら女王とミアキスの間では何かが通じ合っているようだが、しかし間に挟まれたトーマには何のことだかサッパリわからない。まあ、女王を溺愛する兄ですらこの二人には入れないこともあるらしいし、それは仕方のないことなのだろう。
 とりあえず、正規の女王付きの女王騎士が見つかったのだから、役目はもう終わった。
「よくわかんないけど、じゃあミアキス様と交代だな」
「はぁい。 トーマ君、ご苦労さまぁ」
 ミアキスがへらりと手を振る。まったくこの人は何年経っても変わらない。トーマは苦笑いをかみ殺して、女王に向き直った。
 両足を揃えて姿勢を正し、右手の拳でとんと胸を叩く。
「それでは失礼します、へい……じゃなくて、リムスレーア様」
 名前を呼ぶとやっぱり心臓が跳ねたが、しかし思ったよりは平気かもしれない。頬が熱くなった気もするけれど、トーマはそれを誤魔化すように踵を返した。
 だから、名を呼ばれた方こそが頬を真っ赤に染めていたことなど、まったく気づかなかった。
 
「陛下ぁ」
「……なんじゃ」
「トーマ君、思ったより鈍そうですよぉ。 わざわざ会いに行ったんなら、本人にそう言わなきゃぁ」
「そ、そんなこと口が裂けても言えぬわっ!」





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===================== どうしても王子を出演させたかったからオマケ =====================

「あれ、トーマじゃないか。 何やってるの?」
「イシル様こそ何やってんだよ! リムスレーア様が探してたんだぞ」
「リムが? だってさっき会ったばっかりだよ?」
「ええっ おっかしいな……(そういやミアキス様のも変だったよな…)」
「ところでトーマ、今リムのことなんて呼んだ?」
「へ? ああ、リムスレーアさ、ま…って……あああああの、その、これは!」
「ふぅん、リムを名前でねぇ…… うん、まぁいいんじゃない? 仲良くなるのは良いことだよ」
「で、ででででもオレ、その笑顔がすっごい恐いんですけど!」



 うちのトーマは十五歳でもまだ見習いのようです。
 リム以外にはタメ口です。名前に「様」をつけて呼んでるけど。リムへの敬語も中途半端な感じで。
 王子は嫉妬心丸見えですが、最終的にはすごく祝福してくれると妄想。
 なんだかんだとトーマのこと可愛がってるんだよ。







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