変 装 回 顧 録 に 哀 れ な 追 記


「王子ぃ〜王子ぃ〜どこですかぁ? お〜う〜じ〜」

 湖の城にこまだしている気の抜けたその声を、ロイは王子の部屋で聞いていた。こともあろうか王族のための寝台に、尊大にも足を組んで腰掛けながら。
「……おーい、呼ばれてんぞ」
「知らない」
「王子ってのはあんたのことじゃねえのか」
「おそらく、僕のことだと思うけど」
「……聞こえてねえようだから教えてやる。 さっきからずっと呼ばれてんぞ、王子さん」
「……………知ってる」
「気づいてんなら出てこいっての!」
 ロイは勢いよく寝台の下に手を突っ込んで、そのまま引っ張り出された王子は恨みがましい目でロイを睨みつけた。
「大声を出すなロイ! ミアキスに気づかれるだろう!」
「うるせえ! リオンが臥せってるからって怠けてんじゃねえよ! 大体なんで王子さんがこんな所に隠れてんだ。 いい年してかくれんぼかよ? ダサ過ぎだっての!」
 相手が王族だろうと構わずに吐き捨てる。同じ顔が睨み合っても鏡を見ているような感覚しかなく、目だけで火花を散らす不毛な戦いは王子が最初に折れた。
「――かくれんぼなんかしてないよ。 ただミアキスがうるさいから隠れてただけ」
「同じことだろ。 あの女王騎士の姉ちゃん、王子王子やかましいったらありゃしねえ。 さっさと顔出して黙らせろよ」
 掴んでいた服を放すと、王子は大きな溜息をついてロイの隣に腰掛けた。土足のまま片膝を抱き、それに額を押し付ける。とても王族とは思えない仕草だが、ロイ以外は誰も見ていないせいか気にはならないらしい。
「ロイはなんで僕がここに隠れてるって知ってたんだ?」
「リオンがどうせ王子は自室に隠れてるから助けてやってくれってさ。 オレだってリオンにお願いされたりしなきゃわざわざ来るかっての」
「……リオンにも今のミアキスが何を考えてるか判ってるんだな」
 あーあ、と残念そうに呟く王子の声を聞いて、ロイは首を傾げた。
「なんだよ、あの姉ちゃんとなんかあったのか?」
 ミアキスといえば最年少女王騎士という説明文が最初にくるが、いまいち考えの読めない人間ということでも知られている。付き合いの長いリオンや王子、女王騎士仲間のカイルやガレオン、幼馴染である竜馬騎兵の二人ですら彼女を理解するのは難しいだろうとすら称されているのに、しかし今回はなぜか違うらしい。
「……ミアキスにね」
「ああ」
「リム禁断症状が出てるんだ」
「へえ…………って意味わかんねえそれ!!」
「だから声が大きい!」
 思わず声を張り上げたロイの顔に、王子は渾身の力で枕を投げつけた。
 さすが王族の枕はふかふかと柔らかく、当たってもぼふっと軽い音がしただけで大して痛くもないはずなのだが、落ちた枕から覗かせたロイの顔は盛大な不機嫌面だった。
「手癖のわりぃ野郎だな! あんたそれでもほんとの王子か」
「……そこまでこき下ろされると、自分でも本当にそうなのか判らなくなってくるけど、まあいい。 とにかく今僕が直面している問題はそのミアキスの禁断症状なんだ」
 至極真面目な顔をして言われると、ロイとしてもこれ以上は文句を言えない。とりあえず姿勢を正して神妙に訊いてみる。
「――で? 一体なんなんだ、その禁断症状って」
「原因はその名の通り、長い間リムの顔を見れていないからだな。 僕だってリムに会いたくて会いたくて仕方ないのを人知れず我慢してるというのに、ミアキスばっかりあっさり堂々と精神壊してずるいと思わないか?」
「全っ然思わねえ」
「ロイはリムがどれだけ可愛いか知らないからね。 だからそれは置いておいて、僕が問題としてるのは症状そのものの方だ」
「――…症状って?」
 どこが人知れずだこのシスコン王子、と内心で呆れながら、ロイは引き続き王子の話に耳を傾けた。しかしその内容を耳にするや否や大声を出してしまい、ふたたび枕を顔面で受け止めるはめに陥った。
「なんっだそりゃ!」

 王子が溜息をつきながら話した説明とは、つまるところ「ミアキスが女装を強要してくる」といったものだった。
 なんてことはない、王子が姫と同じ髪の色のカツラをかぶり、同じ服装をして「参るぞ、ミアキス!」と言って欲しいだけ。実際、女王親征の前夜にも同じことを言われたことがあったが、そのときは丁重にお断りして、ミアキス自身も納得して話は終わったはずだったのだが。

「……あんたと姫様ってのはそんなに似てんのか」
「そりゃ兄妹なんだからある程度は似てるけど。 僕がリムの格好をしてリムに見えるかどうかという意味なら、全然似てないと思うんだよね。 喋ったら当然別人だし、いくら亜麻色のカツラをかぶったって、せいぜいロイと区別がつかなくなるだけだろうな」
「あ、そ。 ……つまり、それだけあの姉ちゃんが壊れたってことか」
「うん」
「っていうか、嫌だって普通に断ればいいんじゃねえのか」
「……ロイなら泣きつかれても断れる?」
 少しだけ考えて、う、と答えに窮する。それきり俯いてしまった王子を見て、ロイも溜息をついた。
 リオンには王子を助けてくれと頼まれたが、これではどう助ければ良いのかさっぱり判らない。もっとも王子自身もどうすれば良いのか判らないから寝台の下などと今時の子供ですら隠れないような場所に隠れていたのだろう。どうしようもないなら、選択肢はそんなに多くない。
「ま、ここに居てもいずれは見つかるだろうし、こうなったら潔く女装でもなんでもすればいいんじゃねえの? 似てねえって気づけばあの姉ちゃんも大人しくなるだろ」
「…あのね、僕は仮にも王族なんだからそんなことできるわけないだろう。 いや、もしやってみろ。 リオンの具合が悪化するぞ」
 ふと、ロイの脳裏に王子を助けてくださいと見上げてきたリオンの顔が浮かぶ。いつでもどこでも王子を尊ぶリオンは、王子が王子であることに誇りを持っている。そんな王子にいくら妹姫とはいえ女装などさせたら、確かに卒倒してしまうかもしれない。
「……ああ、じゃあその線は却下で」
 力なくうな垂れるロイと一緒に、王子も一緒に俯いた。
「そもそもこれはカイルが悪いんだ。 以前ヴィルヘルムが可愛い子がいないと協力しないとか言ってて、それなら王子が女装すれば一発ですねーって」
「あいつ真性のアホだろ。 ほんとに女王騎士かよ」
「うん、まぁ。 で、その話をたまたまミアキスにしたらこんなことになって……」
 はあ、とすでに何度目か数えられなくなった溜息をついた王子は、がっかりと肩を落としたまま寝台に倒れこんだ。
 その情けない様子があまりにも珍しくてロイは吹き出しそうになったが、何の解決にもなっていない事態を思って押し黙った。
 そこで、少しだけ考えてみる。王子は嫌だ嫌だというけれど、女装とはそんなにも嫌なものだろうか。例えば自分は頼まれてもいないのに王子の格好をすることが多いし、実際に彼に成りきって仕事をすることも少なくないのだ。そう、重要なのは本人に成りきることであり、単に変装するなどと半端なことをするから恥ずかしいのだ。つまり、その気になって本人に成りきってしまえば問題はない。
 そして王子がそれをすることによってリオンが辛い目に合うというのなら――…
「――んじゃ、オレが代わりにやってやるか」
「ええっ!?」
 がばっと音を立てて起き上がった王子に、嫌味よろしく大きな溜息を吐き出してやる。
「だから、オレが姫様を演じてやるって言ってんだよ。 王子さんでもそんなに似てないなら、オレなんかじゃ全然意味ないだろうけど……ま、髪の色が似てる分、マシかもしんねえし」
「え……でもいいのかい? 女装だよ、女装?」
 まるで異様なものを見るような目つきで見られ、一瞬だけ不快感が走ったが、少しだけ大人になってそれは気にしないでおく。
「王子さんは女装って概念があるからダメなんだよ。 女とかじゃなくて、そういうモノになるって考えれば問題ねえだろ」
「そ、そういうものかな……。 僕には理解できないけど」
「あんたは本物、オレは影武者。 だからあんたは理解しなくてもいいんだよ」
 ふうん、と解ったようなそうでないような複雑な表情で首を傾げたのち、王子もとりあえず了承した。
「まあ、リムの愛らしさが表現できるとは思えないけど……ミアキスが大人しくなってくれるのならそれでいいか」
「――あんたも結構言うね。 その代わり、オレが王子さんを助けてやったってこと、ちゃーんとリオンに伝えてくれよな。 ついでに病室に行くたびにグチグチうるせえばーさんを黙らせてくれっと嬉しいんだけどよ」
 そっち方面の鈍さは天下一品の王子は、やはりその意味が解らないような顔をしたが、ロイが「な!」と強く念を押すと、まあいいかと笑顔で頷いた。
 そしてちょうどそのとき、扉が開いたのだった。当然、そこから覗かせる満面の笑みは。
「王子、やっと見つけましたぁ〜! もう逃げられないですよぉ」


 それから暫く、ロイにとって予想もしない地獄が続いた。
 一体誰が用意したのか知らないが――知りたくもないが――いつの間にか揃えてあった姫とまったく同じ格好をさせられるのは、思ったほど苦痛ではなかった。髪の色は本物の姫とさして変わらないので前髪を整える程度で済んだし、服装も着替えてみれば普段は気持ち悪いくらい王子と同じ顔も、こうして見ると男女の双子のように見える。鏡の向こうのロイは王子ではなく、まさしくリムスレーア王女であり――当然、十歳には見えなかったが――、自分でも「へえ、オレ結構美人じゃん」などと呑気なことを考えられるくらい余裕だった。
 問題は、それが意外なほどに大好評だったということだ。
 ミアキスは大人しくなるどころか、大喜びだった。王子ではなくロイがやると言ったときは不満げに頬を膨らませていたが、今は声さえ出さなければ合格点だと言ってがっちり腕を掴んで離れない。さらにギャラリーはどんどん増えてゆき、
「姫様!?……なわけないかー王子でしょ? ほんとに女装したんですねーって、えぇこれロイ君? 王子の代わりに? やー可愛いなー!」
「あらあらリムちゃんが成長するとこんな感じになるのかしら。 ああん、もっとこっち向いて、抱きしめさせて」
「カイル殿にハスワール様ぁ。 これは姫様ではなくロイ君なんですから、そんなにペタペタ触ったら可哀相ですよぉ」
 ならまずあんたが腕を離せ!とロイは叫びたかったが、うっかり声を出してしまうと二刀流小太刀が喉元に突きつけられるのでここはあえて我慢する。仕方なく王子にフォローを頼もうと目配せをしても、泣きたいくらいそれは全く役に立たなかった。
「やっぱりリムの愛らしさにはほど遠いけど……うん、とても似合ってるよ」
 おそらくこの天然王子は心の底からそう思っているに違いない。普段は憎たらしいほど似ている顔ににっこりと微笑まれたロイは、「あんたも同じ顔だ、このシスコン王子ぃ――!!」とぶん殴りたくなったが、やはり二刀流小太刀が恐くて押し黙るしかなかった。
 もともと言い出したのは自分だし、この格好も王子が嫌がるほど嫌なものではないと思う。一目でロイだと見抜いた人はおらず、王子に化ける以外にもなんだかんだと才能があるんじゃないかなど考えて少しだけ楽しいのも事実だ。しかしカイルとハスワールのスキンシップはまだマシで、事情を知らず偶然通りかかったヴィルヘルムとガヴァヤに目をつけられたときは、なんでそんなことを思えたんだろうと、さすがに数刻前の自分を激しく呪った。

 数々のセクハラに耐えながら、ロイはひたすらリオンを思う。
 少し困ったような、けれどやっぱり可愛い顔で王子をお願いしますと言ってきた彼女。
(リオン、オレちゃんと王子さんのこと助けたからな!)
 そろそろ我慢の限界で、とりあえず近くにいる野郎どもを片っ端から殴り倒したい衝動に駆られながら、ロイは願った。
 ロイ君、王子を助けてくれてありがとうございます。
 可愛らしい笑顔でそう言ってくれること、それだけをひたすら願った。






 E N D





================== ロイがあまりにも可哀相だったので書いちゃったオマケ ==================

「ロイ君、姫様の格好をしたって本当ですか?」
「あ? まあな」
「なんてことを…! 王子の格好だって恐れ多いのに、姫様までも!」
「な、何怒ってんだよ! 仕方ねえだろ、王子さんだってかなり困ってたんだしよ!」
「……ふふっ嘘ですよ、嘘。 怒ってません」
「へ?」
「王子も助かったと仰ってましたし、早く姫様を助けたいという思いもまた一層強くなられたようです」
「あ…そ、そっか」
「ロイ君」
「ん?」
「王子を助けてくれて、本当にありがとうございます」
「………(やべー本気で可愛い)」




関係ありませんが、女装の最中にラハルが来て、突然敵意むき出しにされたらいいと思う。
(ヤツの女装こそ 真 性 だ !)




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