ある将校の災難
大変です!と部下に呼び出され、ヘルムートが足を踏み入れたのはサロンの二階だった。 扉を開ける前から嫌な予感はあった。中からシグルドの腹が立つほど冷静な声とハーヴェイのバカでかい笑い声が耳に届いたからだ。 「確かにこれは恥ずかしいな。気の毒すぎて俺は直視できない」 「だろー?ってお前しっかり見てるじゃねーか。俺は腹が痛くてこれ以上はムリだけどよ」 それはお前が笑いすぎてるからだ、というツッコミにまた爆笑しているのが聞こえる。 この軍に入って以来、この手の嫌な予感はたいてい当たるということをヘルムートは身をもって学んでいた。 もう何が起こっても驚くまい、多少の屈辱ならば甘んじて受ける。そう自分に言い聞かせ、しっかりと数十回は逡巡した後に、ヘルムートはようやく扉に手をかけた。 そして扉を開けた瞬間、目の前にある事実の衝撃に言い聞かせた言葉はどこかへ飛び、ヘルムートは真っ青になった。 「なんだこれは――…!」 ――あれはまだヘルムートがこの軍にやってきて間もない頃だった。リーダー自らが彼の手を引いて、船の中を案内しながら仲間に紹介していった。 「次はどこに行こうかなー?」 「好きにするがいい…」 ヘルムートは疲れていた。船内を歩き回ったせいとも言えるが、それ以上にこの軍の実態を知って脱力してしまったのだ。 オベルの王とかいう男はどうみてもただのチンピラ漁師だし(武器は槍というより銛だ)、軍師は酒を飲んでいないところを見たことがない。お付きの少女は利発そうだが、先日は海賊に説教を始め最後には土下座させていた。キノコやらハーブやら育てている部屋では突然戦が始まるし、操舵室ではゴロツキが仕切っていた。本物の漁師は腕は良いらしいが、人魚を釣り上げる現場に居合わせたときは夢に見そうだった…そんなことってあるんだな…。 とにかくそんな軍に敗北した自分の不甲斐なさに情けなくなり、気分的に落ち込んでしまったのだ。 「着いたよ!」 リーダーに連れられやってきたのはこの船のサロンだった。質素ながらもカウンターがあり、何人かは昼間だというのにラムを楽しんでいる。 他にも奇怪な動きをして相手の思考力を惑わすコインゲーム――と、少なくともヘルムートは解釈している――やら連勝しなければ何の意味もないベーゴマなど、さまざまなゲームができる娯楽室のようにもなっているらしかった。 「誰から紹介しようか……そうだ!」 人が疲れていようが何しようがおかまいなしのリーダーは、いい加減げんなりしているヘルムートを引っ張っていった。その先には長椅子で横になっている人物がいた。 「ヘルムート、こちらがミドルポート領主嫡男のラインバッハさんだよ」 にこやかに紹介されたが、ヘルムートは挨拶するどころではなかった。何せ目の前にいるのは今まで見たこともないようなキチガイ、もとい物凄く豪華絢爛な衣装に身を包んだ男だ。目を逸らそうにも恐いもの見たさで視線がはずれない。 ラインバッハはそれを不快とも思わずに、青い顔をしながらも起き上がり会釈した。 「我が友の友は我が友も同然です。よろしくお願いいたします」 理屈の通っているようでそうでもないようなことを言われ、ヘルムートはひきつりながらもなんとか頷くことに成功した。 「ラインバッハさんはおしゃれでさー、着る物にもすっごいこだわりがあるんだ」 そりゃそうだろうとも、と横から説明してくれるリーダーに心の中でツッコミを入れる。 膨大な量の羽や毛がふさふさと揺れるつばの広い帽子に白タイツ。そして何よりも胸にある精巧な造りの薔薇を象った飾り。剣士がそんな格好で戦えるのかとか余計なことを勘ぐってしまうのは自分が軍人であるからだが、それにしたって常識で考えても絶対何かがおかしいとヘルムートは思う。 そんな彼を見て、ラインバッハは目を輝かせた。 「おおヘルムート殿、貴方にもこの衣装の素晴らしさがお解り頂けるとは…!このラインバッハ、感激の極みでございます!」 な、なに!? 突然手を取られ、唖然とする。 「一目見たときから予感があったのです。ああこの方は違う、私と同じ感性をお持ちだ、と…!」 ぼっちゃま良かったですね、と隣にいる印象の薄い男が余計な相槌を打つ。 「ち、ちょっと待ってくれ、えーと、ラインバッハ殿…?悪いが俺はただの軍人だ。あなたと同じ感性がどうだとか、それは少し違う次元の話だと思うのだが…」 「いいえ! 私の目に狂いはありません。その細い首、白い肌、長い手足、そして揺れるたびにさらさらと音を奏でる美しい髪! どれをとっても貴方は私の美の目に充分適う…!」 冗談じゃないとヘルムートはリーダーに助けを求めたが、肝心の彼は 「へー、そうなんだ」 とにこやかにその様子を傍観している。 「俺はそういうのよく分からないけど、でもラインバッハさんが言いたいことはなんとなく理解できるよ」 理解しなくてもいい! …というヘルムートの心の叫びは当然誰にも届くはずはなく。 「これはほんの友情の証…」 そっと差し出されたのはラインバッハの薔薇の胸飾り。 「どうぞお納めください」 もはやぐうの音も出ないヘルムートは、より一層疲れた表情でそれを受け取るしかなかった。 その悪夢のような場所を離れ、今度はサロンの二階――一階を一望できるテラスになっている――へやってきた。そろそろ解放して欲しいとヘルムートは思ったが、しかしそこは敗者の宿命、口が裂けてもそんなことは言えない。 先ほどのお貴族さまに心酔している音楽家はどうでもよかったが、イルヤ出身だという少女に「窓を変えませんか…?」と見上げられ断ったときは、さすがのヘルムートも胸が痛んだ。 壁新聞には笑いの虫が腹の中で動きだしたが、リーダーが「この記事、結構どうでもいいようなことばっかでつまんないんだよね」と耳打ちしてきたので、コホンと咳払いでなんとか誤魔化すことに成功した。どうやらリーダーがそう思っていることは、編集者には内緒らしい。 その後ろでは彫刻家が何やら土台を作っていた。訊ねてみると、どうやらこの戦でもっとも活躍した人物を称えてこの場所にモニュメントを作るということらしい。 「ちょうどいいや、ヘルムートにも紹介するね。 ガレスさーん!」 ガレスと呼ばれた彫刻家は愛想がなく、むっつりとしながら振り返った。 「ガレスさん、今度仲間になったヘルムートだよ」 「そうですか…」 自分には関係のないことだと云わんばかりの表情だ。 だがヘルムートにはむしろ都合が良い。疲れている彼は、もう濃い人間とは会話をしたくなかった。 しかし。 「おや――…ち、ちょっとあんた!」 「は?」 「まさかあんたまでこれを付けて戦場に…!?」 彼が慌てて指したのは、先ほどお貴族様から友情の証とやらで受け取った薔薇の胸飾り。 手で持つには邪魔だったので、仕方なくそのアクセサリーを身に付けていたヘルムートだったのだが。 「まったくどうしてこう、ラインバッハの坊ちゃんといいあんたといい…その感性が理解できん」 「な、何?」 「ああ私の傑作ともあろうものが……。こうなったらあんたに責任取ってもらいますよ!」 リーダーといい彫刻家といい、なにゆえこの船の人間は人の話を聞こうとしないのか。何か悪いことをしたのだろうかと思いながらも、やはり理由は分からない。理由が分からないのに責任なそ取る義理はない。何よりもあのお貴族様と同じ感性と言われるのが一番腹が立つ。 ヘルムートはリーダーに意義を申し立てようとしたが、しかし相変わらず人の話を聞こうとしない彼は、 「俺はそういうのよく分からないけど…でも、いいんじゃない?」 あっさりとガレスに同意してしまった。 「ちょっと待ってくれ、俺には何がなんだかさっぱり…」 「だいじょうぶ、ちょっと俺と一緒に戦闘頑張ってくれればいいよ。それだけで充分だよね?」 ガレスはもちろんです、と頷く。 「ほら、オーケーだって。 ってことで、これからヘルムートと俺は外回りね!」 「ちょ、え…!?」 恨めしげに睨む彫刻家をそのままに、絶対何も考えていないだろうと思われるリーダーにヘルムートはずるずると連行されていった。 一体俺が何をしたというんだ! という悲痛な彼の心の叫びはやっぱり誰にも届くことはなかった。 ――後に聞いたところでは、あの薔薇の胸飾りはガレスが製作したもので、本来ならば装備品として使用するものではないらしい。彫刻家が作ったのだから、それは当然だ。おそらく彼が今手掛けているというモニュメント同様、観賞用なのだろう。 ヘルムートは自分(とあのお貴族様)のせいで彼のプライドを著しく傷つけてしまったのかと、深く反省した。 が、しかし。 「これがあの時の責任とでもいうのか……!」 ヘルムートはサロンの二階にて、がくりと膝をついた。そして、この船に乗ったことを瞬時に後悔した。 彼の目の前にあるものはガレスの最新作――…ヘルムートの銅像だった。 「おいおい、モデルさんがお出ましだぜ〜」 「ハーヴェイ止めておけ。 お前も同じ身になって考えてみろ、恥ずかしいだろ?」 冷やかしも慰めになっていない慰めも、もはやヘルムートの耳には届かない。 彼を支配しているのは、目の前にある軍人としては屈辱極まりない芸術品のみ。自分が題材となってしまっただけでも恥ずかしいのに、このモニュメントは事実を相当歪曲して自分を見下ろしている。 「やっぱりこの装備品が笑いのツボなんだよなっ」 と、ゲラゲラ笑いながらハーヴェイが指すのは一度だけリーダーがふざけてヘルムートに着用させたビーナスセットだ。装備できる貴重な人が見つかったとあまりにも喜ぶものだから、ついつい受け取ってしまったのが仇となったようだ。 「だがここまで細かく作られているとは…芸術家とは凄いものだな」 シグルドが真剣に感心しているのは、ヘルムート(銅像)の指だった。細かいことにパールリングがはめられている。しかもご丁寧にしっかりと薬指だ。本人はそんな指にはめたことはないのだから、見事に嫌がらせとしか云いようがない。 「「でも極めつけはやっぱコレだな」」 海賊たちが指し、これでもかとヘルムートに追い討ちをかけたのは、彼(銅像)の頭部だった。サイドの髪を可愛らしく後ろにまとめあげ、ブルーリボンがかけられていた。 「信じらんねー、リボンだぞ、リボン! っていうかこれって本来こういう使い方すんのか?」 「ヘルムートが気の毒だろう。 いくら似合っているからといって、恥ずかしいものは恥ずかしいんだ。やめておけ」 「お、お前ら……っ」 腹いてーと死ぬほど笑うハーヴェイを、真面目な顔でたしなめるシグルド。どちらにしてもヘルムートにとって嫌味以外の何物でもなかったが、しかし彼にはそれを黙らせる気力はもうなかった。 こいつらを一気に剣の錆にできたらどれだけいいだろう、いやまずそれよりもこの銅像だ。首をはねてから一階に突き落としてやりたい。 そんな思いが頭の中を駆け巡りつつも、彼はもう無言で俯くことしかできなかった。 後から後へと訪れるギャラリーは笑うもの感心するものばかりで、感動してくれたのはラインバッハとヘルムートの部下たちだけだったという。 後日この銅像はリーダーの 「俺はこういうのよく分からないけど、でもこれはセンスないよね」 という一言で撤去され、しかしその前にオレーグの発明したカメラにより後世までしっかりと記録されていたのだが、どちらにせよ精神的に大打撃を受けている現在のヘルムートには、まだまだ遠い未来の話だったりする。 END |