感じることを拒否するこの身に、あのとき降り落ちた光をもう一度。 醜いこの身を照らすな、幻想め。 幻想であるからこそ願う、その光。 矛盾したその願いを、ただのわがままと言って逃げても良いだろうか――― |
m i r a g e
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太陽の光は大して厚くもない灰色の雲の中に隠れて見えない。今にも切れ間から、または薄雲から透けて見えそうな強烈な光のはずだが、見上げればいまだどんよりとした空気が瞳を圧迫する。 それには何の感慨もなく、ルックは黙ってセラの動きを見ていた。彼女の口からこぼれる目に見えぬ言の葉の羅列が、水晶の煌きから生まれた細やかな砂粒のような光の雫となって地面に降りそそぐ。風が吹こうものならいとも簡単に霧散してしまいそうな光の粒だったが、しかし実際は自然の風に揺られてもそこだけ透明な壁に守られているかのようにまっすぐに降り落ち、そのまま舞い上がることもなく柔らかい土の中へ消えていった。 それを見届けた彼がやっぱり、と呟いたのは、セラがかざしていたロッドを胸元に引き寄せたときだった。 「やっぱり、使うと使わないでは全く違うものだね」 「…確かに負担はほとんどなくなりましたが、目に見えてわかるものなのですか?」 首を傾げると、そうじゃない、とルックは言った。 「魔力の媒介は確かにあれば便利だ。力の増幅だったり抑制だったり、それは個々の能力によって違う。それでも使えばそれなりの効果があるのは当然なんだ。だから、僕が違うと言ったのはそういう意味じゃない」 セラは困ったように眉をしかめた。ルックの言葉はいつも抽象的で、捉えどころがない。まるで彼の操る風の魔法のようだと思い、しかしそこでようやくルックの云わんとすることに行き着いた。 「個性、ですか」 よくできました、とルックは目だけで頷いた。 魔法を使うには呪文という名の言の葉が必要になり、それに魔力を乗せることによってはじめて効力を発揮する。その際に媒介を使うことによって効力を膨張させたり制御したりするのは、術師にとっては常識だった。 しかし常識の中にも例外はある。現在ルックは媒介を使わずとも魔力の増減を自在に操ることができる。世界にたった二十七しかない正統な紋章を右手に宿し、それ自体を使いこなし媒介そのものにしているからだ。そうは言っても真の紋章を確実に使いこなす者などほとんどおらず、そういう意味も含めて、ルックは術師としても紋章の主としても類まれなる存在だった。 だからルックが特異なだけで、セラが媒介を使用して術を行うのは当然のことになる。彼女の媒介は術師の間ではもっともセオリーなロッドで、それはルックが彼女のために作らせたものだった。本体の造りや媒介になる水晶の種類まで、全てにいたるまで彼女に合ったものをと彼自身が選別した。初めて触れたときから嘘のように手に馴染んだその柄は、今はもうそれを握る手に収まらない日は無い。 セラが幼い頃、ルックはよく言った。 「術には個性がある」 魔力を持たない者にしてみれば違いはなど感じないだろうが、術師からしてみれば一目瞭然である。 「ルックさまは風、ですね」 セラはルックの術を使う姿を見るのが好きだった。当時のルックはまだ媒介を使用していて――やはりロッドだった――言の葉を噤むと決まって媒介の先端に風の渦が生まれた。それが水であろうと火であろうと、何の属性でも変わらない。結果として現れるものは意図した属性であっても、生まれ方は個性としかいいようがなかった。 「あくまでも媒介を使った場合だけどね。呪文を使わない程度の簡単な術なんかは風が生まれるより先に発動させるし」 「それでは、セラもばいかいを使えば風をつくることができますか?」 問えば決まって「風はいいものじゃない」とルックは困ったように眉をしかめた。セラはそれを不思議がったが、当時にとっても今にとってもその理由を知るのはまだ先の話だった。 個性が違うのだから、術の仕上がりは変わってくる。セラの術も同じく風を生むことがあるかもしれないが、ルックはセラに媒介を使うほどの術の使用を禁じていたし、どちらにせよセラの術は風とは関係のない力があるだろうと考えていた。セラは、生まれながらに流水の紋章を宿しているのだ。 「紋章に左右されるのは嫌だろうけど、こればかりは仕方ないからね」 「そうなのですか…」 まあね、とルックはどことなく遠くを見るような目で空を仰いだ。その時、空に太陽が出ていたのか否か、むしろそれが昼だったのか夜だったのか、セラはまったく覚えていない。しかしふと見上げた空から光が差し、それがルックを照らしたことだけは覚えているのだ。それが陽の光なのか月の光かは思い出せないけれど、その幻想的な光景は不思議と記憶から消えたことはない。 「セラはルックさまの思われるとおりのまほうがつかえれば、それでいいです」 それは、幼いセラがそう言った直後のことだった。 土の中に消えた光の粒を見て、ルックは思った通りだと呟く。手を伸ばすと、セラは意図を汲み取ったのかロッドをルックに差し出した。 「ルック様は私が媒介を使えばこの形の術になることをご存知だったのですか」 「――…ある程度はね」 セラのロッドは先端と石突の個所に淡い青色を宿した水晶を誂えている。どちらも細身の柄と繋ぎ合わされているのは精巧な銀細工で、色合いといい造りといい、全体的に温かみを帯びたところはどこにもない。 「セラなら、この媒介が合うだろうと思った。そして、思った通りだった。…いや、思った以上かな」 「思った以上、とは」 「…セラは眩しいから」 ルックはロッドを振る。セラのために作らせたものだから、ルックが意図しない限り普通に振る分には媒介として作用しない。二、三度同じ動作を繰り返した後、何語かを呟いたが、しかしセラと同じような光の粒は現れなかった。 代わりに水晶を取り巻いたものを見て、ルックは嘲笑する。 「…忌々しいね」 ふたたびロッドを振ると取り巻かれたものは霧散し、そこには元の淡い青色の水晶があるだけだった。 「媒介を変えてもやはりルック様は風ですね」 「まったく、忌々しいよ」 同じ言葉を呟いて、ルックはロッドをセラの手の中へ返した。 「僕がこの媒介を使っても使わなくてもどうせ風が沸き起こるのには違いないんだ。だから僕には媒介の意味がまったく無い。でもセラの術はこのロッドを使うときが一番効力があると思う。…そう思って、僕が作らせたんだから」 セラは手に馴染む柄を下から上へと視線を移す。これをきみに、と手渡された瞬間からどこも変わらないそれに対し、特に何かを考えたことはなかった。受け取ったときもただ良い水晶が採れる村があったから、とその程度の理由しか聞いていない。 身長ほどの長さもあるそれを見て、ふとその頂にある水晶に目をとめる。 「そういえば、ルック様が以前お使いだった媒介には水晶がありませんでした…」 うん、と頷いたルックの目が懐かしそうに細められた。 ルックが紋章を使いこなせるようになるまで使用していた媒介、それは確かレックナートがルックへ授けたものだと聞いたことがある。外観がとてもシンプルなロッドで、重さをまったく感じさせない媒介だった。何度かセラも触れたことがあるが、相性が悪いのか使いこなすことはできなかった。 その媒介の仕組みがどうなっているのか知らない。しかしどこを探しても魔力の増減を助ける存在は見当たらなかったことは覚えている。 「水晶だけが術の役に立つわけじゃない。レックナート様も使われていたあのロッドは、それ自体が特殊な媒介だった」 ルックは言葉にしなかったが、特殊というのはおそらく真の紋章にだけ反応するとか、その辺りのことだろうとセラは思った。セラの術師としての能力は常人の域をはるかに越えている。さらに生まれながらに流水の紋章を宿しているという特殊さを持った身でもあのロッドを使うことができなかったと言えば、理由は限られてくる。 「でも、ルック様は私のロッドに水晶を選んで下さいました」 とても綺麗な、淡い青。盲目のレックナートがセラの瞳も青いですねと言い、胸の辺りがくすぐったくなったのはつい最近のことだ。 「媒介にそれを選んで下さった理由と、先ほどおっしゃった‘眩しいから’というのは何か関係があるのですか」 小首を傾げるとルックは曖昧に頷き、そしてどうなんだろう、とも呟いた。 「僕がセラを眩しいといっても、きみは理解できないだろう?」 「はい」 素直に頷いたセラに、そうだろうなと笑う。 「だから本当の理由を言葉にするのは難しいんだ。あえて言うなら――…」 ただのわがままだよ。みっともないね。 ルックは呟いて、さきほど光が落ちた土を見下ろした。残滓もなく染み込んだセラの術は、実はすごく単純なものだった。あと一つだけ条件が揃えば結果を見ることができるが、まだそれは揃わないようだ。 その瞳が何を語っているのかを読み取れないでいたセラは、何かを言おうとしたが、しかしそれはすぐに諦めた。本心を語ることがほとんどないルックが、ただのわがままだと言った。それ自体、珍しいことなのだ。それだけでいいではないか。自身がどれだけ厭おうと、彼はまさに捉えどころのない風そのものなのだから。 「――それでも」 ちいさく響く声に、ルックは顔を上げた。そこで、普段は表情の変化に乏しい白皙の娘が微笑んでいるのを見る。 「それでも、ルック様のわがままは私を幸せだと思いました。私はこれを頂いたとき、もう死んでも良いと思うほど嬉しかったのですよ」 セラはさきほどと同じようにロッドを土の上にかざした。ルックが唱えたものとまったく同じ呪文を唱えると、先端の水晶の周囲に風は生まれず、代わりに中で小さな爆発が起こった。そしてそこから生まれた青い光の波が膨張して、やがて緩やかな液体のように水晶からこぼれ落ちた。 「――私だって、ルック様の風が好きです」 「…物好きだね、セラは」 「わがままなだけです」 青い光は跡形もなく土の中へ染み込んでしまった。術の結果はまだ現れない。 やはりまだ条件が足りませんね、とセラが呟いたと同時、背中にとん、と軽い衝撃があった。振り返ろうとすると、ルックがセラの背中に額を預けているのが見えた。そして、掠れた声が聞こえる。 「ごめんね、セラ」 セラは背を向けたままで、何がですかと問う。 「…理屈はどうでも良かった。僕はセラの術が眩しいほど綺麗だって知っていた。そして、僕が選んだ水晶から降りそそぐそれを見たかった。でも眩しく光るそれは醜い僕をさらしてしまうから、だからせめて冷たい色を選んだ。眩しい光を見たくて、だけどその温かさを感じたくなくて――…矛盾してるんだ。 でも、本当の理由はそれだけなんだ」 ふたたびごめんと聞こえた声はひどく冷めいて、小さかった。しかし背中から伝わるルックの体温はとても温かく、セラはその違いにくすぐったさを感じて笑みをこぼした。 「――誰にでも、何にでも光は必要なものです。それを責めたりなさらないで下さい。私だってルック様という光がなくてはこの世に存在する理由すらなくなってしまうのですから」 それに、と続けられた声にルックは顔を上げた。 「私は、ルック様の思われる通りのことができればそれで良いのです。それが私の喜びです。…ルック様、どうかそれをお忘れにならないで」 それは顔を上げたルックが、握っていたロッドをセラが愛しそうに抱き直したのを見た、その時だった。 太陽の光が今にも切れそうな薄雲から透け始めた。淡い光が明るく視界を開き、二人が揃って見上げた瞬間に、とうとう切れた雲間から一筋の光が差した。 「眩しい――…」 照らされた二人は強烈な光を浴びて、ルックはそのまま光を受け止めたが、セラは眩しさに顔をそむけた。一本の光は間もなく大きく透明な幕となり、ルックとセラを包みこんで世界を照らし出す。 「あの時と同じだ…… だから僕はセラが眩しい」 「よく、わかりませんが」 少しだけ困ったようなセラの口調に、ルックは何でもないといった風に笑う。 「…セラの光はいつだって僕に幻想を見せてくれる。 そういうことさ」 釈然としない答えに、とりあえずセラはそうですかとだけ言っておいた。どうせ風たる彼の心中を正確に理解するには時間が必要なのだから。そう思いながらふと地面を見ると、先ほどはなかったものが視界に入る。それを見て嬉しそうに目を細めたセラは、立ちすくみ光を受けているルックの手を取り、ルック様、と呼びかけた。 「ルック様、これを」 促されるように太陽から地面へと視線を移したルックは、すうっと息を呑んだ。 セラの術が降り落ち、今は太陽の光を浴びているその土の中心に緑の葉が生い茂っている。中にはちいさな白い花をつけたものもあり、光を受けて更に背伸びをしようとする。 「何にでも、光は必要なものですから」 そうでしょうと微笑んだセラの表情を、水晶に反射した太陽の光がさらに明るく照らす。 ――…そうだね、と。 ややあってからルックは静かに呟き、セラの手をぎゅっと握り返した。 f i n . |
皆様こんにちわ&初めまして。「マルメロの庭」の花梨と申します。 このたびはこのような素敵企画に参加させて頂き、嬉しいやら恥ずかしいやらでテンパっております。とにもかくにも、ここまで読んで下さりありがとうございました! セラのロッド「ミラージュ」って名前、とても素敵ですよね。響きが綺麗なのもありますが、やはり蜃気楼といった意味合いがとてもセラらしくて大好きです。そしてそれをセラに贈ったのがルック本人だという設定がツボ過ぎて!脳内妄想のうちには最初からありましたが、公式で発表されたときの驚き&喜びといったら言葉にできませんでした。 なんだかんだとお題に沿えてない内容に仕上がってしまい、皆様のお目汚し失礼致しました。 これからは皆様の素敵作品を拝ませて頂きます(笑) 本当にありがとうございました! 2005.06 花梨
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