狭間
ふいに感じた事がある。門の紋章戦争が終結し、その3年後に勃発したデュナン統一戦争の時だ。
「やあ……偶然だな…」
池に吊していた釣り糸をひょいと巻き戻し、背中にある大人数の気配を彼は泰然と振り返る。どこか達観したような大人しい笑みを浮かべるその少年は、トランの英雄と呼ばれる人物。
「わっわっ!シエンさん!!」
溢れんばかりの喜びと驚きを同時に表現するのは、時空を転移してきた少女。
「ひさしぶり…変わりはないようだね…」
無表情で、本来なら配慮すべきである項目にも触れるのは、風を宿す少年。
3人が並ぶと3年前に戻ったような錯覚を受けた。口に出して良いものかと問われれば、まずは考えてしまう。彼等にとって正確な時を刻まぬ体というものは辛くないはずがなかろう、冗談でもそれを言い出せる者はいなかった。少しばかりの胸の痛みを覚えながら、ただ心の中で深く頷いた。
―――この人達は永遠に変わらないんだ。と。
「私ね。また会えるって思っていたんだよ。」
あれから15年が経っている。少なくともフッチはそれだけの年月を過ごしてきた。背も伸び、体付きもがっしりとして、少年時代の面影といえば僅かになった。あの時はまだ仔どもだったブライトも逞しい白竜へと成長し、今やパートナーとして欠かせない存在だ。
雲が多く空を締める天候。風ばかりが吹き抜けて、疎らに散らばって息づいてた、季節はずれの緑の野草がザワザワと擦れる。次期にやってくる本格的な冬の予兆のように、ここを訪れる度に草の緑色は減っていた。変わりに蔓延るのは乾燥した黄土色の枯れ草だ。
その枯れ草の茂みから大きく頭を出した岩に、黒髪の少女ビッキーが座っている。初めて会った18年前から変わる事のない容姿は、普段は絶やす事ない無邪気さを押し込めてしまっている。遠くを見るような目で直ぐ近くにひっそりと佇む石版を見ながら、誰にともなく彼女は呟く。
その声を聞いたのは、寂しげに吹く風とそして、フッチ。
「みんないきなり背が伸びたり顔が変わっちゃったりしていて、本当に吃驚したの。」
ビッキーは15年前の事を言っているのだ。まだ何も知らなかった、あの頃。
「僕としては君が3年前と同じ姿であった方が驚きだったけどな。」
ビッキー独特の発言に、フッチは軽く肩をすくめ苦笑した。2人は視線を合わせてはいないが、ともに“石版”へと目を向けている。かつて2度体験した大きな戦では、今は忘れ去られたように野晒しにされているこれも、重要な役目を持っていたように思う。それはいっそ誓いの具現化ともいえるような。
レックナートという星占術士から天魁星へと預けられた石版。天魁の星の元に集う107の星を記すもの。そしてそれを管理していたのがルックだった。……今は敵として見える彼が。
彼の不在と疎外された石版は、まるで被る。
おそらく城の多くの者は石版の存在すら知らないだろう。人の訪れぬ寂寥の中でも、1つ1つ宿星の名が刻まれ続ける天啓の証を。その意味を。約束の石版とされたかつてを。
海底深くに沈みながらも、カチカチと時を刻み続ける懐中時計みたいだ。硝子板が割れ、飾る金属が錆びてもまだ動く事を止めない。暗く深い蒼の世界で無機質な音を響かせ続ける。
「ビクトールさんにも言われちゃった。……だから、ルック君に会った時はもっと吃驚した。」
ルック、と。そう声に出す刹那確かにビッキーの声が震えた。懐かしさが運んでくるのは、仄かな暖かさでは到底ない。今となっては辛いだけの思い出だ。けれどもビッキーは言葉を止めなかった。
「全然変わってなくて………うー〜と。前から何となく気付いてはいたんだけどね、こんな言い方したら怒られちゃうと思うけど、とても安心したの。私と同じだ…って。」
その独白にもフッチは黙っていた。足下を擦る枯れ草の音が鮮明に聞こえる。なんて淋しい――オト。
「でも本当は…全然同じじゃなかったんだね……」
ビッキーの視線はやはり過去を振り返るように石版に向けられたままだ。横にいるフッチを振り返る事はなく、声に元気はない。時空を転移してきた彼女からすれば、ルックの変貌ぶりは、15年の歳月を経て再会したフッチよりずっと衝撃的だったろう。ともすれば過去に望んで飛んで行ってしまいそうな現実逃避を考えたって可笑しくないほどの。時間は全てを薄れさせ冷静に捉える視野を与えてくれる。正しく時間を生きる人間の、それは特権であった。けれどもビッキーにはそれがない。衝撃はそのまま緩和される事なく打ち付けられているのだ。
泣きそうだ、そうフッチは思う。ビッキーの気丈を装う声が、あえて物言わぬ石版だけを見る目が、辛い。
「私って本当にノーテンキだよね。“変わっている事”に気付かなきゃ……」
同じではないと気付けていたならば、何かを変える事が出来たろうか。
そこでビッキーは視線を落とした。膝を引き寄せ、抱えてその上に自らの頭を埋める。黒い髪が表情を隠すように流れた。フッチはそっと近付いて声を掛けようとしたが、心中で大きく嘆息する自分に気付き動きを止めた。
この少女は16歳の心を持ったままなのだと。人を疑い責めぬ事を知らぬ純粋な心のままで。泣く事も笑う事も感情に素直で、それは昔とちっとも変わらない。けれどもそれは本質の普遍であり、心の成長とは違うのだ。
「何を言っているんだ?君は変わっているよ。いろんな人にあって、沢山の事を考えているじゃないか。」
フッチの言葉からややあってから、ビッキーはのろりとした仕草で顔を上げた。
きょと、と涙に潤んだ目を丸めている。―――やはり泣いていたのだ。フッチと目が合うと、気付いたようにローブの裾で視界をぶれさせる涙をぐしぐしと拭う。小さく頷く事を何回も繰り返し、ようやく納得した様子で深く呼吸をして、それからもう一度フッチを見上げた。
「そっか…それも“変わる”なんだね。…うん……ありがとう…」
そしてまた静かに泣き出した。それも自分のためではなく、彼の人を想ってのものだと簡単に分かる。
「変わらない人なんていないよ。生きているのだから。」
その肩に優しく手を乗せて、フッチは穏やかな笑みを浮かべながら告げた。
「フッチ君……大人になったね。」
「…もう29歳だしね。いつまでも子どもじゃいられないよ。」
子どものように、直情的になることはない。どれほどに強い感情も隠す事を覚えた。
けれどその想いまでを消せるわけではない。人に触れられない心の奥で消化しているだけ。汲んでなどいらない。汲まれてしまったら。それが一気に外に出て、自分のちっぽけな理性など簡単に負けてしまうだろうから。でも向かい合う少女はそれに気付いてしまった。
「1つ訊かせて。………悲しい?」
深すぎる緑色の目が貫いてくる。その真摯さにフッチは息を飲んだ。その問いに対する本心は決まっているはずなのに、逡巡は素直に口に出す事を拒んだ。目の奥が熱くなるのを抑える事が出来ない。言葉を発したら、それと一緒に流れ出てしまいそうだった。だから必死で堪えた。
「たぶん、君の思っている通りだから………」
永遠があると思っていたあの頃。今ようやく実践でもって真実を知り…。
浅さかな考えを疑いもなく事実としていた幼い自分が、どうにもならないと解っていながら悔しかった。切なかった。時間はもう戻らない。人がどれだけ脆く儚く、そして目を世界に向け続ける生き物であるかを、漠々とした空しさに深く刻み込む。
かととさんのサイトからっぽの時間にて、雑記のコンテンツ内でリクエストを募集されていた際に、ずうずうしくもお願いしてしまったのがこちらの作品です。リクエストさせて頂いたお題は「フッチとビッキーのルック語り」でございます。1、2で苦楽をともにした二人には、今回敵となってしまった彼はどう映るのか。アップルさんもそうでしたが、ここはあえてパーティで連れ歩くことができるこのお二人で。作中の「シエン」はかととさん宅の坊ちゃんでございます(我が家の坊ちゃんは「トキ」でした)。
もうなんというか…切なさ全開です(涙)時間が止まったままのルック、時間ともに歳を重ねるフッチ、時間を越え続けるビッキー。三者三様の人生ですが、「彼」に涙を流してしまうのは、やはり昔と同じではいられないということ。ルックは確かに過去の戦争で変わる未来を夢見ていたはずなんですけどね(涙)
かととさん、本当にありがとうございました!ううっリクエストして良かったー!!(嬉泣)