映画感想
| ヒロインは、90歳の少女 恋人は、弱虫な魔法使い ふたりが暮らした ハウルの動く城 |
| そんなキャッチフレーズに萌えながら、行ってきました映画版「ハウルの動く城」! 行ってきたのは2004年11月3日(ハ○ス食品協賛の試写会)をはじめ、合計8回。とりあえずその8回(+「THE ART OF HOWL’S MOVING CASTL」を)見た段階での感想など語ってみようと思います。 ●ストーリーについて ●キャラクターについて 【ストーリー】 宮崎監督が公開前に「戦火のメロドラマ」と称していたことから、原作と違う演出が盛り込まれているんだろうなぁとは思っていました。事実、声優などがまったく決まっていない2003年10月の段階で見た予告では戦闘機が爆弾らしきものを落とすシーンがありましたし(今思えば、あれは港町でまかれたビラだったかも)、字幕ナレーションでは「魔法が兵器になる」とあり、戦闘機から兵器が飛び出してきました(今思えばあれは花畑でハウルとソフィーを狙った兵器だったかも)。 そんなことを念頭におきながら観に行ったわけですが、その世界観は想像を超えるものであり。原作とまったくの別物であるという事実に驚きこそすれ、特に不満があるわけではなく。見事にジブリオリジナルの「ハウルの動く城」を作り上げていると感じました。 ただあまりにもソフィーとハウルの恋物語を重視したためか、呪いに関してはかなり放置されているように感じました。最後にはみんなの呪いが解けるわけですが、ソフィーの呪いだけは解き方が明らかになっていません。話の中でもソフィーはころころと姿を変えますが――しわしわのおばあちゃんだったり、初老の女性だったり、十八歳の娘だったり――、それも全て「ご想像にお任せします」にするのは少し難しいのではないかと…。 ちなみに私は、ソフィーの呪いとはソフィー自身が気持ち一つで解くことのできるものだった、と解釈しております。「THE ART〜」の完全台本を読んでみると、花園を歩くときにはハウル自身が「もうソフィーの呪いはとっくに解けてるってのに…」と思っています。つまり劇中ころころと姿を変えるのは、ソフィーがその姿に相応な気持ちを持っているからであり、もっと早く自分に自信を持てていれば綺麗な娘の姿に戻れていたということではないでしょうか。寝ているときだけは呪いにかかっているという意識がないせいか、元の姿に戻っていますよね。 王子に呪いをかけたのは誰か、というのはソフィーの物語には関係ないので(笑)はぶかれたのでしょう。「千と千尋の神隠し」でハクがED後あの世界でどうなったのか明らかされないのと同じこと。主人公の物語には関係ないからです。納得できないのは、何故ソフィーがハウルの過去を見ることができたのか。その辺り、もう少し説明が欲しかったです。 さて、原作にはほとんど絡んでこないテーマ、戦争について。これも多少、無理やりな感が否めませんでした。それは原作を知っているゆえの違和感なのかもしれませんが、あのハッピーエンドを迎えるには重過ぎるテーマではないかと。ところどころハウルのセリフが厳しいんですよ。「平気さ。泣くことも忘れる」「王宮に爆弾は落ちないけれど、周囲の街には落ちる。魔法とはそういうもの」「どちらでも同じさ…人殺しどもめ」こんなのヘタレ魔法使いのハウルじゃない!そう、一番の違和感は弱虫と銘打っているハウルが全然弱虫じゃないところ。戦争に嫌悪を示すものの、恐がっているようには到底見えない。むしろ勇敢だよ(笑)そんな違和感の中で戦争を持ち出されても、深く入っていけないのです。では、わざわざ戦争をテーマに持ってきたのは何故だろう? ここで少しエンディングについて。文句の言えないようなハッピーエンドな終わり方(…と思いきや、まだ軍艦が飛んでいたりと、戦争はまだ終わっていなご様子)。全ての呪いが解けて、ハウルも心を取り戻す(…というか心臓云々は関係なしにすでにソフィーに恋していたようですが)。サリマンはハウルが心を取り戻したことを知って追いかけるのをやめ、そして戦争をやめるように動き出す。全てが幸せに見えますが、まあ普通に見ていれば穴だらけだなと(笑)このエンディングは見るエンディングではなく、考えるエンディングです。客観的では理解しがたいことばかり。特にサリマンの動きについては、「なら最初からやめさせろよ!」と言わずにはいられないわけです。そう、監督の狙いはまさにそこ!戦争をテーマに持ってきた理由、それがここにあると思います。戦争なんて最初からやめればいい、そしてやめるのはこんなに簡単なことなんだ、と。そしてそれが、ハッピーエンドに繋がるのだと。ストーリー自体に絡むことではありませんが、監督がこの時代にあるからこそ伝えたかったことなのでは? ジェームズ・キャメロン監督は「タイタニック」公開時に言いました。「この映画はタイタニック号の物語ではない。たまたまタイタニック号で出会った男女のラブストーリーだ」…ハウルも同じことでしょう。たまたま戦争をしている国で出会ったハウルとソフィーのラブストーリー。戦争は演出の一環(そして監督のメッセージ)であり、ラブストーリーには関係のないこと。だから無理やりな感じがしても仕方がない。そういう舞台背景なんだから。…少なくとも、私はそう思うことにしました。 難しいといえば難しい話でしたが、しかし「考える」「想像する」楽しさを思うと、最高に楽しい映画だったとしか言えません。エンディングに限らず終始「考え」「感じ取る」映画でしたが、きちんと「観る」「聞く」という映画の醍醐味もありました。 原作も大好きだけれど、映画も捨てがたい(笑) やっぱり大好きだ! 【キャラクター】 ▼ハウル▼ 私はヘタレも好きだが王子キャラも好きだ(きっぱり)。 顔に関しては映像が公開になる前から鈴木Pが美男子・美男子・美男子と漏らしておいででしたが、まさか本当にここまで素敵になってご登場だとは思いもしませんでしたよ。カッコイイっていってもどうせジブリだしな〜と高をくくっていたせいか、その衝撃はまさに鈍器で後頭部を殴られたような感じで。凄いよハウル、これで服の趣味がもっと最悪だったら原作そのものだよ!(外見が) 外見だけで一気に虜になってしまうこのハウルさん、性格は原作から少し遠いような気がするのは…私だけじゃないですよねぇ?DWJさんからは性格は変えないで欲しいとの依頼があったそうですが、外見はそのままで性格は全然違うじゃん…そんな印象がありました。ソフィーと喧嘩するどころか、一緒のシーンが増えれば増えるほどラブラブになってくよ!これは嬉しい誤算(笑)でしたが、ストーリーの展開上、少し無理があったような。 さて、外見・性格もそうですが、一番驚かされたのはハーピーなハウルですよ!鳥!ギャー!アニメーガス!(アニメーガスはその動物そのものに変身するので半獣ではありません)ええと、これは原作にまったくない設定ですが、萌え!と思ってるのは私だけじゃないですよね。いやはや鳥ハウルは素敵過ぎですよ。かっこいいですよ。予告でも公開されてなかったので不意打ちでした(笑) とにかくカッコイイ(むしろ萌えを追求した最高結果)なハウルさん。ストーリーがソフィー視点なためか、心情が非常にわかりにくい。しかし、一箇所とても泣きそうになったところがありました。初めて見たときはスルーしたのに、二回目にガツンときたのです。そのくらい、分かりにくいところ。 「…もう遅い!」 ソフィーの夢で、怪物と化したハウルが言った言葉。 どういう意味でしょう。ソフィーがハウルを愛することが遅いと言ったのか、幼い頃に「待ってて」と言ったソフィーが現れるのが遅いと言ったのか。 これはソフィーの夢であり、現実ではないのでしょう。でも本当にそうかしら。ハウルとカルシファーには時間がなくて、ハウルはより怪物へと近づいてゆく。ハウルはずっとソフィーが助けてくれるのを待っていた、その演出が「遅い!」の意味するところではなかったのでしょうか。私はここが一番ハウルが弱虫に思えたのですよ。家族を守りたいと思う、でもハウルにはもう時間がない。そういうことを客観的に映画を観ている人に伝えたシーン。本当に悲しかったんですよ、私。 まあ最後には幸せになるわけですが。ソフィーが「ハウル大好き!」と飛びついたあと、荒地の魔女がマルクルの目を隠すんですよね。あんたら子供の目には毒!なことをやっていたのか。だとしたら、それが一番原作に近いハウルなんじゃないかしら…と思うのは、私が腐れ切ってるからですね、ハイ。 個人的に映画で一番萌えたのは、ソフィーを王宮へ送り出す前に指輪をはめたとき(笑)後ろからかよ!耳元でささやくのかよ!微笑むのかよ!…宮崎監督、どこでそんな萌えポインツ学んできたんですか…。 ▼ソフィー▼ 髪があかがね色じゃないよ!(愕然) 初めてソフィーを観たときの感想がそれでした。いかにも地味な女の子です、と言わんばかりの外見。でもしっかりとナンパされてる辺りはハウルに「ソフィーは綺麗だよ!」と言わしめたるところではないかと。「THE ART OF〜」でもソフィーは美人だと公式化されてましたしね(笑)ストーリーの感想でも書いてますが、あれは客観的なソフィーではなく、ソフィーが思っているソフィー自身の現れなのだと思っています。だから実際は地味でもなんでもなく、ソフィーがそう思い込んでるだけなんですよね。…と私は思っているわけですが。 性格はハウルに比べれば原作に近いのではないかと。ただハウルに恋をしている自分をすんなり受け入れるかそうじゃないかの違いで。基本的に明るいソフィーは大好きです。年寄りになることによって開き直り、そして本来の明るさを開花させてゆく。恋を知って見える世界が変わり、守られているだけの存在ではいられなくなる。そして逃げずに戦うことと向かい合って、最後には本当の幸せを手に入れる。…なんって素敵なヒロインかしら!(強い娘さんは大好きです) さてこの映画版ソフィー、魔女であるという設定はどこにも出てきませんよね。しかしやってることは原作と同じなわけですから、魔女でなければ説明がつかなくなります。その辺り、監督はどういう意図で作られたのかよく理解できないのですが(説明が欲しい!私では理解力不足だ!)。ハウルの子供時代に足を踏み入れるというのも良く分からないんですよね。これは見るというより感じ取れ、な意図を感じますが。 しかしソフィーってば可愛い(笑)お婆ちゃんな姿も愛らしいけど、やっぱりハウルに恋する乙女なソフィーが一番可愛いです。鳥ハウルに抱きつくときとかもう可愛すぎて切なすぎて、これが漫画なら「きゅん!」の表現が飛ぶところです(笑) ハウルが大切で仕方がないというのをまったく隠さない、それが映画版ソフィーの魅力だと思います。 ▼カルシファー▼ 原作版より可愛らしく、おちゃめではないかと。でも基本は原作通り。外見が赤い炎になっていますが、純粋にラブリーなキャラだと思います。 「おいらは悪魔だぜ」とかナントカ言ってはいるものの、おだてに弱く、契約で縛り付けられていると不満を漏らしながらもハウルのことを心配してくれている素敵な火の悪魔。最後は戻ってきてくれるし、ハウル一家には欠かせない存在です。 原作では細かなところまで明らかになっていますが、映画だけを観てカルシファーが流れ星だったという事実をすんなり理解できる人はどれだけいるのでしょうか。カルシファーが流れ星で、それすなわち契約に繋がる秘密であるという事実。これは物語の中で結構大きなポイントだと思うのですが、なにぶんラブストーリーがメインなものだから霞んでしまったような。うーん残念だ! ▼マルクル▼ 先に言っておきます。私は神木隆之介くんが大好きです。 この声は映画版ハウルにおける最大の癒しだと信じて疑っておりません。初めマイケルの存在が無いと知ったとき、「マルクルって誰だよコンチクショウ(怒)」と思ったものですが。キャスティングを知ってそんな怒りは遠いウェールズの彼方へと吹っ飛んでゆきました。 いやもう感想など何もありません。可愛いですマルクル。「待たれよ」が可愛くてぎゅーっと抱きしめて持ち帰りたい。ハウルを心から尊敬し、ソフィーが本当に大好きで、ヒンを「飼ってもいい!?」と可愛がって(笑)それでも幼いのに大人ぶっているのが最高にラブリーです。荒地の魔女にも「おばあちゃん、僕がついてるからだいじょうぶだよ!」とか……ああもう本当に可愛いや! 原作版の弟子・マイケルはソフィーを「さん付け」で呼ぶけれど、マルクルは呼び捨てなんですよね。幼さゆえかそれがとても可愛い(可愛いばっかりだな)。ハウルのことは「ハウルさん」「お師匠さま」と呼んでいるようですが、ハウルが師匠らしいことをしているのは一回もありませんでしたね(爽やか)それでも引越しの魔法で「凄いですお師匠さま!」と感激しているのは、よっぽど尊敬してるんだろうなぁと。実際は魔法使いの弟子というより、秘書的な仕事ばっかりこなしてますよね(笑) ▼荒地の魔女▼ ラスボスではなかった御方(ラスボスいうな)。 結局ソフィーに呪いをかけた以外は、劇中では悪いことしてないし。ああ、ソフィーがカルシファーに水をかけるハメに陥ったのはこの人のせいか(笑)とにかく原作ほど悪党ではないこの魔女。王宮の階段でのソフィーとのやり取りは笑いを誘うほど微笑ましい。そして魔力を抜かれてしまった後の「わんちゃん」も微笑ましい。 この魔女は魔力を抜かれても人として生きる最低限のものは残されたんですよね。魔女であるときに得た知識はそのままだったし、ハウルの心臓が欲しいという欲望も消えなかった。しかし恋する心も忘れていなかったおかげで、最後にはハウルの心臓を渡してくれる。ソフィーがハウルを想う気持ちがどれほど大切かきちんと知っている証拠です。やっぱり悪党になりきれなかったんだよ、この婆さん(笑) そもそも映画版のこの魔女、設定がどうなっているのか分かりません。 ▼サリマン▼ ハウルがマダム・サリマンって呼んだよ!なんかツボだ!(笑) ええと、この方こそラスボス(だからラスボスいうな)な感が否めない御方。王室で実権を握り、国に忠実な最強の魔女、そしてハウルの師匠。やってることはソフィーからしてみれば悪行そのものですが、まあ彼女には彼女の理念というものがあるわけですから。 国に協力する気のない有害な魔法使いからは力を奪ってしまえ、それは国の決定であり荒地の魔女はそれの犠牲になったわけです。ハウルが悪魔と契約していることをサリマンは見抜いているようでしたし、だからなれの果てを危惧して今のうちに彼も排除しようとしたんですよね。排除というか飼い主を噛む犬は殺してしまえ、といったところでしょうか。 しかしハウルはサリマンにとって最後の弟子であり、もっとも出来の良い子だったはず。ハウルが王室にいたのだってサリマンと一緒だったからでしょうし、ハウルもサリマンを慕っていたと思うのです(ハウルが金髪にこだわるのはサリマンの周りの子達を見て育ったからだと推測してみたり。どうみたってあれはハウルのミニチュア版だよ…)。だから本気でハウルを探しているのは、何となく違和感がありました。この人マジ?嘘でしょ?みたいな。 結果として悪魔と契約を切ったハウルを見て、彼女はもう追いかけるのをやめるわけですが。なんだかんだとこの人はハウルを可愛がってそうだ(笑)きっと何年か後、ハウルの元へやっぱり王室付きの魔法使いにと依頼に行くのではないでしょうか。 最後の戦争を終わらせる云々については、ストーリーの感想で書いた通りです。あれ自体に深い意味はなくて、監督がこっそり伝えたいメッセージなのではと思っています。このマダム、いろんな意味で損な役回りです。 どうでもいいですが、なんでマイケルは名前を変えたのにサリマンはそのままなんだろう、とか思ってみたり。レティー(原作版)が聞いたら激怒しそうだよこんな設定(笑) |