それでは諸君、このうまし糧に感謝をする前に。
出会いに、奇跡に、運命に、喜びに感謝をしようではないか!
愛しい、愛しい我が家族
昼食を食べ終わり、洗濯物を取り込んで綺麗に片付けた後のことだった。ティータイムにしようと思っていたところに、最近塞ぎこみがちだったハウルが一つ提案をしてきた。
「今日の夕食は僕が用意してもいい?」
どうして、と訊ねても明快な答えは返ってこない。クリスマスになくした物が見つかったから嬉しいだけ、などと見えすいた理由を挙げてきた。
「ほら、前からソフィーがマダムの散歩用の車椅子が欲しいって言ってただろう?試しに作ってみたから、マダムと一緒にマルクルやヒンも連れて散歩に行くといい」
夕食を用意すると言っただけでも珍しいのに、散歩にもハウルが一緒に行きたがらないのはさらに珍しい。そんなわけでソフィーが疑問に思う理由はいくつもあったが、しかしハウルが自分の希望を聞いて荒地の魔女のために車椅子を用意してくれたことは嬉しい。
ソフィーがお願いしようかしらとにっこり微笑むのに時間はかからなかった。
「でも――本当は何かたくらんでいると思うのよね」
散歩に出たはいいものの、そんなに長時間ぶらぶら歩いているのもつまらない。出がけにハウルが準備ができる頃に迎えにくると言っていたが、まだそんな気配もない。
そうこうしているうちに、ソフィーの中で先程浮かんだ疑問がふたたび頭の中を巡ってきたのだ。
「ねえ、マルクルは知っているんでしょう? どうしてハウルが急にあんなこと言い出したのか」
「ぼ、ぼくは何も知らないよっ」
探るような目をしたソフィーに問われ、マルクルは思わず後ずさった。しかし幼さゆえか、その行動すべてが「ぼくは知ってるよ」ということを証明してしまっていた。
「やっぱり知ってるのね。 ねえ、ハウルにはマルクルが言ったって言わないから、こっそり教えてくれないしら」
にこりと笑ってお願いしてみる。
マルクルは眉間にしわを寄せながらさんざん迷うそぶりを見せつつ、しかし結局はぶんぶんと首を横に振った。
「ダメだよ! ハウルさんはソフィーを驚かせたいからぼくに黙っててって言ったんだ。だから…」
「驚かす? ということはやっぱり今夜の夕食は何か意味があるのね?」
マルクルは「あ!」と両手で口を押さえたが、それはもう意味がなかった。ソフィーが不思議そうな目をして首を傾げている。
「ぼくはもうこれ以上言えないよ! い、行こうヒン!」
よたよたと歩くヒンを無理やり引っ張って、マルクルはあっという間に駆けていった。
迷子になるようなことにはならないだろうから追いかけはしなかったが、ソフィーは心なしか恨めしそうな表情でその背中を見ていた。
「ハウルが私に隠し事をするなんて!」
「そういうわけではないと思うけどね」
ふいに、車椅子から声がする。
「おばあちゃん?」
「ソフィーには何の心当たりもないのかい」
車椅子の調子はどうだと訊ねても、「いいよ」などと簡単な返事しかしなかった荒地の魔女だったが、今は少しおしゃべりになったようだ。
心当たりと言われ、ソフィーは少しだけ考えてみる。ここ最近のハウルの様子からして――
「――…ないわけではないわね。ほら、クリスマスに部屋の大掃除をさせちゃったじゃない?その後からずっとハウルってば物凄く落ち込んじゃって、せっかくのパーティーが台無しになったじゃない。あれからずっと塞ぎこんで部屋から出てこないことが多かったし…それの埋め合わせをしようとしてるんじゃないかしら」
それはほんの数週間前のことだ。ソフィーが部屋の掃除をしろとハウルに言ったのだが、それがたまたまクリスマスの日だった。掃除をしろというのは日常的なことであり、クリスマスであろうと何であろうといつものことであるのに違いはないのだが、しかしその日は何かがが違ったのだ。掃除を終えて部屋から出てきたハウルは顔面蒼白で、今にも緑のネバネバを出しそうな勢いで落ち込んでいた。
そのときは嫌がるハウルに無理やり掃除をさせてしまったせいだろうと、ソフィーだけでなくマルクルやカルシファーもそう思っていたはずなのだが。
「ソフィーがそう思うなら、きっとそれも間違いじゃないさ」
魔女はそう言ってくっくっと楽しそうに笑った。
「なんだか引っかかるわね。答えはそれだけじゃないみたいだわ。……おばあちゃんは答えを知ってるの?」
後ろから顔を覗き込むように訊ねてくるソフィーの真剣な顔に、魔女はまたいっそう楽しそうに笑う。
「年を取ると目は悪くなるけど、いろいろなものが見えてくるものなんだよ。ソフィーもそれを知ってるでしょう。 知らないのは、男なんて単純なものということくらいね」
「もう、意味がわからないわ!」
いつまでも笑われてしまい、ソフィーはぷぅと頬を膨らませた。
「まあ魔法使いの心を受け取って、素直に驚いてみるのもいいかもしれないね。ちょうどお迎えもきたようだよ」
「え…?」
魔女の言葉を受けてソフィーが振り返ってみると、苦笑いを浮かべたハウルが立っていた。
「ハウル!」
「迎えにきたよ。マルクルとヒンは先に帰したから」
言いながら、車椅子を押す手をソフィーと代わる。
「マダムと一緒に行かせたのは失敗だったかな。まったく、貴女は全てをご存知なんだから。ヒヤヒヤしたよ」
「おや、私は何も知らないよ」
相変わらず楽しそうな魔女は、知らない知らないと歌うように口ずさんだ。
「ハウル、どういう意味なの? 知らないのは私だけみたいじゃない」
ソフィーは両手を腰に当て上目遣いにハウルを睨む。
そんな彼女を頬への軽いキスでごまかし、ハウルはごめんねと肩をすくめた。
「別に意地悪をして黙っていたわけじゃないんだ。でもやっぱりきみのために準備をしたんだから、どうせなら驚かせた方がいいと思って」
「…私の、ため?」
くちびるで触れられたところを恥ずかしそうに手でなぞりながら、ソフィーは首を傾げた。
「本当はクリスマスにやろうってマルクルと話したんだけど、あいにくは僕はそれどころじゃなくてね。だから今日になってしまった」
ハウルはふたたびごめんと苦笑した。荒地の魔女は全てを知っているらしく、にこにこと笑っているだけだ。
いまだ不思議そうなソフィーに向き直って手をくるくると回して恭しく頭を下げる。そんな紳士の礼を取ってハウルが言った言葉は。
「愛しい、愛しい僕らの家族ソフィーに感謝を捧げるべく、本日のディナーにお招きいたしたく。 いかがですか?」
城に着く頃にはもうすっかり暗くなっていて、丸い月がやけに綺麗に見えた。道すがらソフィーが何を聞いてもハウルは相変わらず笑ってごまかすばかりで、荒地も魔女も知らない知らないと歌うばかりだった。
ようやく着いた扉の前で一呼吸をつくと、ハウルがどうぞ、とソフィーの肩をとんと叩いた。
そして促されるままに扉を開けてみると、そこには想像もしなかった光景が広がっていた。
部屋の灯りは虹色の炎がゆれるロウソクで、それらに照らされた真っ白なレースで編まれたクロスが敷かれたテーブルの上には、湯気のたっているスープや香草に隠れて香ばしい香りを漂わせる黄金色に焼かれたチキンが並べられている。それらの中心には干しぶどうや木の実がたっぷりと入ったクグロフが置かれ、隣にはたくさんのベリーで彩られている大きなチョコレートタルトもあった。
棚には隙間なく色とりどりの花が飾られており、壁のいたるところには赤や青や緑の石がちりばめられ、窓からさす月の光とロウソクの光に反射してきらきらと幻想的な光景を演出している。
「――お気に召していただけましたか、お嬢さん」
声も出せず立ち尽くすソフィーの肩に扉を開けるよう促した手をそっと乗せ、ハウルは彼女の耳元で小さくささやいた。
「これ、全部……?」
震える声で振り向いたソフィーの目は驚きに大きく見開かれ、しかしハウルの言葉を否定する感情は一切見られない。
ハウルは満足そうに息を吐くと、今度は悪戯っぽく微笑み首を振った。
「実はまだ一つあるんだけど…、ね」
「あっ おかえりなさい!」
「聞いてくれよソフィー、ハウルったらヒドイんだぜ! 今までにないくらい、おいらをこき使ったんだ!」
部屋に入るなりソフィーが耳にしたのは、マルクルとヒンの出迎えと、カルシファーの盛大なる愚痴だった。
カルシファーはいつもの火の悪魔の姿ではなく、星の子の姿できらきらと明かりを振りまいて部屋の中を飛び回っている。
「魔法、魔法、魔法! この見栄っ張りときたら、ソフィーのためにソフィーのためにってそればっかり!おいらのことなんて全然考えてくれないんだ!」
「それは言わない約束だろ、カルシファー。 お前だってソフィーに感謝してるくせに」
「してるけどさぁ……ソフィーからも何か言ってくれよぅ」
カルシファーは甘えるように光のかけらを撒き散らしながらソフィーの周り飛んだ。
「残念でした、ソフィーに甘えるのは僕の専売特許だよ」
「なんだよそれー!」
二人がくだらない言い合いをしている間に、マルクルはいまだ驚いているソフィーにこっそり耳打ちした。
「あのね、ソフィー。ハウルさんがね、ぼくたちはみんなソフィーに感謝をしなくちゃいけないって。ぼくたちがこうして笑って話せるのは全部ソフィーのおかげだって。ぼくもそう思うんだ。ハウルさんがとてもやさしく笑うようになったのはソフィーのおかげ。ハウルさんが笑うとソフィーは嬉しいでしょ?ソフィーが嬉しいとハウルさんも嬉しいんだって。ぼくも、みんなが嬉しいととっても嬉しい。そしたらね、カルシファーやおばあちゃんも同じだって言ってくれたんだ!」
ソフィーはマルクルの言葉を吟味するように、頭の中でそれを噛み締めた。
するとこの部屋を見たときの驚きが、ゆっくりと温かいものに変化していった。そしてそれがだんだんと膨らんで、全身を駆け抜けたと思ったら、大きなしずくが瞳から零れだした。
「――ハウル!」
「え、うわっ!」
ハウルは突然背中から抱きつかれて、あやうくテーブルの上に突っ伏してしまうところだった。そして寸でのところで留まり後ろを振り返そうになったときに、ソフィーが泣いていると気づいた。
前に回されたソフィーの白い手を優しく握り、少しだけ困ったように笑う。
「本当は二人きりのときに渡したかったんだけど、泣いてるお嬢さんを喜ばせるにはやっぱりプレゼントしかないかな?」
「…これ以上に、まだ贈り物があるの?」
「あと一つ残ってるって言っただろう」
すると、ソフィーは左の薬指に冷たい金属を感じた。それは一度だけ、ハウルからもらったことがあるものと同じ感触で、今は失ってしまったけれど、あのときに感じたどきどきするような不思議な緊張感はどうしても忘れられない。
ソフィーは驚いて手を外そうとしたが、ハウルの手はそれを許さなかった。
「マルクルから聞いたと思うけど、僕らはみんなソフィーに感謝してるんだ。きみは家族ではなかった僕らを家族にしてくれたんだ。幼いマルクルを母親のように可愛がってくれたし、サリマン先生のところから荒地のマダムも救い出した。そして、それは全て今の幸せな生活に繋がっているんだ」
ハウルの静かな声に、ソフィーはかぶりを振った。
「そんなの違うわ。それを全て受け入れてくれたのはあな…」
「何よりも」
ソフィーの言葉を待たずにハウルは言った。
「何よりも僕とカルシファーの呪いを断ち切ってくれた。あの契約の夜、きみは僕とカルシファーの名前を呼んでくれた。あの出会いは僕らにとって奇跡だったんだ。おかげで僕は未来できみと再会するのを待ちつづけ、そして恋をした。心臓がなくたって僕にはそれができたんだ。運命だったんだよ。これほど喜ばしく、感謝をしなくてはならないことがあるかい?」
だから、と繋げたハウルはソフィーを振り返り、指輪の上から優しくキスを落とした。
そのとき、ソフィーは初めてその指輪にはめられている石を見た。それはハウルの瞳とまったく同じ色をした淡い青色で、その石とくちびるを指輪に寄せながらもまっすぐに自分を見つめる瞳を交互に見ていると、すぐにでも吸い込まれてしまう感覚を覚えた。
「だから、これは新しい約束の指輪。 あのときの約束はもう果たされて消えてしまったらからね」
「…新しい約束?」
潤んだ瞳を揺らしながらソフィーが首を傾げると、ハウルは彼女の耳元にくちびるを寄せて小さな声で、しかしはっきりと言った。
「もう少し僕らが人として成長したら、僕とソフィーだけの家族が増えてもいいかなぁって。 そのときに、また新しい約束の指輪を贈らせてもらうよ」
ソフィーはその言葉の意味を悟ると、瞬時に頬を染め上げた。
それは決して恥ずかしいとかの感情だけではなくて、驚きや嬉しさ、そしてある種の感動をも交差させた複雑なものが現れで、その顔を見たハウルは思わずぷっと吹き出した。
「ソフィー、変な顔。 それも可愛いけどね!」
それに合わせて二人を見守っていたカルシファーが「ほんとだ!ソフィーが変な顔になってる!」と囃し立て、マルクルもヒンと転がりまわって大笑いしていた。
「ち、ちょっともう! みんな、怒るわよ!」
ソフィーが真っ赤な顔のまま怒るものだから、みんなは更に声を上げて笑った。
荒地の魔女だけがにこにこと微笑むばかりで、カルシファーがひゅんひゅんと飛び回るものだから、城の中はきらきらと輝く温かい空気でいっぱいになった。
そんな中、ハウルがひそりとまたソフィーに囁いた。
「本当はこれ、クリスマスに贈ろうと思ってたんだ。でも掃除してたらなくしちゃってさ。それが今日、やっと見つかったんだ」
「まあ! クリスマスになくした物が見つかったって、あれはごまかすための嘘じゃなかったの?」
目を丸くするソフィーに、ハウルは大袈裟なほどに驚いてみせた。
「僕がソフィーに嘘をつくなんてありえない! 僕はいつだって本当のことしか言わないよ」
ひどいよソフィー、とうな垂れる。
ソフィーはそんなハウルが可愛くて、愛しくて、だからこそ左の薬指に感じるものが冷たい金属ではなく温かい約束になるのだと思った。
「私も本当のことしか言わないわ。 私、ハウルが大好きよ」
そしてつま先をちょこんと立てて背伸びをして、ハウルのくちびるに自分のそれを重ねた。
「本当に、大好き!」
ハウルはそのまま飛びついてきた可愛い恋人を今度こそ抱きとめ、高らかに笑った。
「よし、それでは諸君!食事の前に乾杯といこうじゃないか。
僕ら家族の出会いと、奇跡と、運命と、大いなる喜びに!」
その晩、城の中では幸せそうな笑いが絶えることはなかったという。
END
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