チ ョ コ レ ー ト





「オーケイ!ハリー、今日はここまでにしておこう」
 ルーピンはそう言って、いつものようにチョコレートを差し出した。

 今日はハリーのパトローナス・チャームの練習日だ。この魔法は三年生の彼が扱うには高等すぎて、練習とはいえ終わったあとの疲労感はクィディッチの比ではない。
 ルーピンはそのくたくたになっているハリーに、いつもこうしてチョコレートを渡すのだった。
「こうしないと、わたしがマダム・ポンフリーに怒られてしまうからね。」
と彼は言うが、これは彼自身の意志と配慮なのだということはハリーにも良く解っていた。その証拠に、彼から貰ったチョコレートを口にした後は身体どことか心も軽くなっていた。

 さて、今日もハリーはいつもと同じように差し出されたものを受け取ったわけだが、一つだけいつもと違うあることに気がついた。
「あれ先生、珍しいですね。このチョコレート、包装されたままだ……」
 ルーピンがくれるチョコレートは蛙チョコだったり巨大な板チョコだったりと様々だったが、量にしていつも一欠片分だけ。もっとも後者の場合は一欠片とはいえそれなりの量になってしまうことがほとんどだったが。
 しかし今日手渡されたのは手のひらに収まるほどの箱だ。包装紙に“CHOCOLATE”とプリントされていることから中身は間違いなくチョコレートなのだろうが、ご丁寧に綺麗な青色のリボンまでかけてあるとなると、ハリーが不思議がるのももっともなことだった。
「これ、何だかプレゼントみたいですけど……」
 そういうと、ルーピンはばつが悪そうに笑った。
「あー…うん、実はそうなんだ。ほら、今日はバレンタインだし……」
 ばれんたいん、否バレンタイン。滅多に耳にする言葉ではないが、それくらいハリーだって知っている、バレンタイン、そう年に一度の恋の祭典だ。そういえば昨年はルーピンの前任のおかげでとんでもないことになったんだっけ、などと嫌な記憶がハリーの頭をかすめる。
 その恋の行事が、一体自分と先生に何の関係があるのか。そこまで考えるとハリーはハッとして後ずさった。
「先生、まさか僕のこと……!!」
 自分を見る目が途端に冷たくなったハリーが一体どんな考えに行き着いたのか手に取るようにわかったルーピンは、大袈裟に手を振り慌てて否定した。
「ち、違うよハリー!これはわたしからではないんだ!……その、ある女生徒から君への預り物なんだ!」
「……預り物?」
「そう。ある東洋の国ではバレンタインに女性が男性にチョコレートを贈るのが流行っているらしくてね。恋人同士も当然だが、友人間の間でも行われるらしいよ。」
「それじゃ年に一度の意味がないんじゃ……」
 なんとか冷たい視線は解いてくれたものの未だ不審がるハリーに、ルーピンは咳払いをしてもう一つ同じ箱を差し出した。
「……こっちは何です?」
「これはロンに渡して欲しいそうだ」
「ロンに?」
 ルーピンは大きくと頷いた。
 この箱も先程渡された箱も大きさは同じだ。ついでにいえば包装紙も同じなので、同じ店で購入した同じ品物なのだろう。一つだけ違うといえば、ロン宛ての箱のリボンの色が栗色なことくらいか。
 二つの箱を不思議そうに見比べているハリーにルーピンは静かに言った。
「まあ、バレンタインは恋愛だけが全てというわけではないということだね。彼女は訳あって名乗り出ることはできないけれど、こうしてチョコレートを必要とする君の身を案じてくれていることは確かだ。ロンに対しても…まあ、その、なんだ…いろいろとあるんだろう」
「いろいろって…?」
 首を傾げるハリーに、ルーピンは「あー」とか「うー」などと困ったような声を漏らした。やがて大きな溜め息とともに降参とばかりに手をひらひらと降った。
「―――どうもわたしはこの科目が苦手でね。上手くは説明できないみたいだ。しかしこれは誰から学ぶというものでもないし、そのうち君にも解る時が必ずくるからね」
 気長に待てばいいと目を細めて苦笑した。
 ハリーは何やら笑顔で誤魔化されたほうな気もしたが、あえてこれ以上は追求しなかった。ルーピンが本当に困っているような笑みを浮かべていたからだ。
 どのみちもう遅い時間でもあったし、とにかくハリーは二つの箱をローブのポケットに入れ、この依頼人は誰なんだろうとあれこれ考えつつ、その場を後にすることにした。
「その女生徒にお礼を言っておいて下さい」
と言うのを忘れずに。




 遠ざかってゆくハリーの足音が聞こえなくなった頃、ルーピンはやれやれと溜め息をついた。そしてポケットからまた一つ、ハリーに渡したものと同じ箱を取り出した。今度のはリボンが蜂蜜色だ。
 その箱を眺めながら、ルーピンは数時間前――授業が終わった時のことを振り返った。


『やあハーマイオニー、どうしたんだい?』
『これを…ハリーとロンに渡してはもらえないでしょうか』
 彼女がルーピンに差し出したのは二つの箱。一つは青いリボン、もう一つは栗色のリボンがかかっている。
『これは……チョコレート?』
『はい、東洋のある国ではバレンタインにチョコレートを渡す習慣があるらしいんです。今日は丁度バレンタインだし、それにハリーはチョコレートを必要としているみたいなので……』
『何故、自分で渡さないんだい?』
『……!そ、それは……』
 ハーマイオニーは続けて何かを言おうと何回か口を開いたが、結局は何の言葉も出てこなかった。
『―――まだ、仲直りをしていないんだね』
『……ハリーは解らないけれど…きっと許してくれません、ロンは』
 ハーマイオニーは心持ち俯いて苦笑した。
 彼女が親友二人とファイアボルトをめぐって揉めたことは、当然ルーピンの耳にも届いていた。しかし、彼らより年を重ねている自分にとっては、その亀裂の 原因はとても微笑ましい部類だと思う。もっともこんなことは口が裂けても本人には言えない。本人たちは一生懸命傷つき、悩み、そして成長するのだ。かつて の自分…いや自分たちがそうだったように。
『ハーマイオニー、こんなことを言うのは無責任な教師としての自己満足かもしれないけれど……君たちは大丈夫、きっと仲直りができるよ』
『…そうでしょうか』
 少しだけ顔を上げたハマイオニーにルーピンはにこりと微笑った。
『わたしも学生時代は喧嘩をたくさんしたものだ。 それこそくだらない理由でね』
 目を細めて懐かしそうに話す。もともとルーピンは優しい目をしているが、この瞬間ハーマイオニーはそれが何倍にも感じられた。この人はよほど楽しい学生生活を送ったのだ、そう思わずにはいられないほどに。
『だから、君たちもすぐには無理でも、お互いを理解し合える時が必ずくるよ。……わたしがそうだったようにね』
 ハーマイオニーはその言葉に少しだけ涙ぐみ、ぶんぶんと首をたてに振った。


 ハリーもロンもおそらくチョコレートの依頼人がハーマイオニーだとは気づかないだろう。彼女もあの後、名前は出さないで欲しいと言ったのでそれで良かっ たのかもしれない。今ルーピンの手の中にある箱はハーマイオニーが先生にも、と置いていったものだ。彼はこれを見て苦笑した。
「そういえば…君たちも僕に謝る時はいつもチョコレートもセットだったね」


  『なあリーマス、俺らが悪かったってば!な、機嫌直してくれよ〜』
  『ほらほら、これ君の好きなチョコレートだよリーマス!僕のをわけて…いや全部あげるから!』
  『僕のもやるからさ…あ、足りないならまだまだシリウスに買わせるし!』



 何処からともなく、あの追憶の日々が会話となって蘇る。
 そう、ハリーたちの亀裂は些細なことだ。かつての自分たちがそうだったように、このホグワーツの中では絆という繋がりは半永久的に修正可能な強さを保つことができるのだ。しかし、それがひとたび外に出てしまうと―――…

「いや、そうとは限らない」

 彼は一人声に出して自分の考えを否定した。自分がそうだったからと言って、彼らも同じとは限らない。むしろ自分もまだどこかでその絆を信じているのだ。
「“君たちは大丈夫”……か」
 一体誰に向けて言った言葉だい、リーマス。他の誰にでもない、自分自身にじゃないのかい。
 そう思うと、ルーピンは手の中のチョコレートを無性に愛しく感じた。

 自分はもう手放してしまったものだけれど、彼らはまだ切れぬ強さを誇って持ち続けている。それは友情という名の「絆」。
 ルーピンはそれを少しだけ羨ましく思いながら、箱のふたをゆっくりと開けた。中にはナッツを絡めたものやアーモンドをコーティングしたものなど数種類のチョコレートが詰め込まれていた。彼はその中の一粒をつまみ、そのまま口の中に放り込んだ。

「―――…おいしい」


 ジェームズにシリウス、そしてピーターが仲直りの際にくれたチョコレート、それと同じ味がするのは気のせいだったのかもしれない。






END




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