And that's all ...? (それでおしまい)


 は目を瞬かせた。
「……あんた、何やってんの」
「貴様こそ、何をしている」
 クールーク海軍第一艦隊艦長・トロイが、ワカメを肩に乗せ波打ち際に打ち上げられていた。
 どう考えてもおかしい。は首をひねった。もとももと頭は良い方ではないが、こればかりはきっと誰が考えてもすぐに答えは出ない。
「あんた死んだんじゃなかったのか」
「……」
「沈んだんじゃなかったっけ」
「………」
 本人もこの状況を正確には把握していないらしい。
 の知っている限り、トロイはエルイール海域に沈み、死んだはずだ。は助けようとしたが、失礼にも彼はそれを断ったのだ。
「……ぷっ」
「何がおかしい」
 何がと問われればワカメと即答したいのが人の常であろうが、しかしは違った。
「だってあんた、あれだけこっ恥ずかしいセリフ吐きながら沈んだのに、結局生きてるじゃん。生き恥、ってこういうこと言うのかな」
「貴様……っ」
 トロイは「あーはずかしー」と指をさしてゲラゲラ笑うに剣を抜きかけた。しかし本人は顔色ひとつ変えずに――涙目ではあったが――口元で美青年攻撃のごとくちっちっちっと指を振って牽制する。
「まあ落ち着きなって、ここはどこだと思う? オベルの船着場だよ。ここで騒げばあんたもヤバイんじゃないか」
 そういえばとトロイは周囲を見渡した。そしてすぐに納得する。夜のせいかここが見覚えのある場所だと気づかなかった。
 ここは豊かな自然に囲まれた静かな王国、オベル。トロイ自身が軍を指揮し、一時は祖国が占領した国だ。
 だが、夜のわりに集落の方がやけに騒がしい。
 はそれに気づいたトロイにそっと告げた。
「――祝勝会やってたんだ。 あんたたちに勝った、その祝いの祭」
 トロイは目を見開いた。そして、静かにそれを伏せる。
 そうだ、クールーク海軍はこの少年率いる群島の連合軍に敗北したのだ。
 その事実は潔く受け止めるが、しかし改めて考えれると胸の奥が少しだけ重くなる。
「ならば何故、貴様はこんなところにいる。 将たる者は…」
「いやさー、ビッキーがくしゃみしたら何人か一緒に飛んじゃって」
「…は?」
 突然話題が変わり、トロイの目も点になる。
「だからビッキーって仲間がヘンテコな紋章を持ってて、それの巻き添えくらって消えちゃった人の捜索やってるんだよ、みんなで」
「…話がまったく見えないのだが」
 首を傾げるトロイに更に詳しい説明する気はさらさらないらしく、はアハハーと笑った。
「祝勝会ではなかったのか?」
「だから、やってたって過去形で言ったろ。 今は捜索タイム」
 よくよく耳を傾けると、騒がしく聞こえるのは歓喜の声ではなく、「いたか?」とか「被害者は何人だ!」等々の怒鳴り声だ。
 以前より理解できないと思っていた紋章の力だが、トロイはますますそれの奥の深さに眉を寄せた。
 そういえばこの少年も強大な力を持っている紋章を宿していたはずだとを見る。
 彼はトロイの存在をまったく気にせずに、なぜか船出の準備をしていた。たった一人でたいまつも持たず、どう見ても捜索の一環とは思えない。何よりも旅装束なのが決定打だ。
「…もしや、出奔するのか」
「うん、まーね」
 は何でもないような声で軽く答えた。
「俺の紋章はこれからの群島ではただのお荷物だし、きっとこれが最善なんだよ。この騒ぎなら気づかれることもないだろうし、ちょうどいいやって」
「詳しい事情は知らぬが…それで良いのか」
 気遣わしげな声に、はとんでもない! と首を振った。
「いいわけないよ。 俺はこう見えても寂しがりやなんだ」
「そんなことで胸を張られても困るが、それならさっさと戻るがいい。 いつまでもこんな所に…」
「はい、これ」
 はトロイの目の前にオールを突き出し、話を遮られ眉を寄せたトロイにニッコリ笑ってみせた。
「なんの真似だ」
 訝しがるトロイを完全に無視しながら、はいつの間にか足元に用意してあった荷物を片っ端から船に積み込み始める。
「旅は道連れっていうだろ。 あんただってこんな場所でぼやぼやしてたらせっかく助かった命が危なくなるんだし」
 トロイは思わず受け取ってしまったオールとを交互に見やり、
「な…っ 私に一緒に来いというのか!」と目を見開いた。
「ほら、あんたも少しは荷物積むの手伝えよ」
「ちょっと待て、何故私が貴様なんかと…」
「うちのコックって話のわかる奴らでさ、上手くまるめこんで食糧ちょろまかしといたからあんたの分も充分足りるよ」
「おい…」
「クールークってまんじゅう美味い? うちのコックが作ったのは絶品だよ。 ってこの食糧のほとんどがまんじゅうなんだけど」
 人の話を聞かないのはの得意技だが、残念ながらクールークの艦長殿にはそれの免疫がなかった。
「――…っいい加減、少しは人の話を聞け!」
 今度こそ剣を抜きかねない勢いでキレたトロイだったが、肩にワカメを乗せたままではなんとも緊張感がない。
 は思い切り「うるさいなーもう」と言いたげな顔で溜息をついた。

「あのさあ、もっと命は大事にしようよ。あんたはここに居たら命が危ないんだ。それに俺は裁くことはしたくない。人を許せる限り許したい。きっと、あんたの云った海もそうなんだろう。その海は俺を裁かなかったし、あんたも裁かれなかった。…そういうことで、いいだろ」

 世界を繋ぐ広大な海。
 厳しくも優しい誰の故郷でもある美しきそれは、全てを許し包み込む。
「俺もそんな人間でありたいんだ。でも、全ての人間がそうだとは限らない。あんたを許すことができない人だってたくさんいるだろう。 だから今は、少なくとも今だけはこの地を離れた方がいいんだ。俺も、あんたも」
 そうだろう? とは笑ってみせるが、そこには少しだけ殊勝な影がうかがえる。
 トロイはそんなを見て、何かを言おうと逡巡する様子を見せたが――表情こそはそのままだが――、ちいさな溜息をついた。そして、
「――…馴れ合うのは、最初の陸地までだ」
 呆れと諦めそして心なしか安堵の混じった声に、は指をぱちりと鳴らした。
「そうこなくっちゃ、ね!」

 それは野郎二人の孤独な船出。
 しかしそれは決して暗い未来を予感させるものではない。生きることを許された者の、海への輝かしい帰還なのだ。

「なあ、いつまでワカメつけてんの。それワカメ小僧になるまで育てるつもり?」
「なんのことだ… って、なんだこのワカメは!」
「今まで気がつかなかったのか? もしかして海神の申し子って頭悪い?」
「きっさま…!」
「あ、背中にはヒトデが張り付いてる」

 ――二人の未来も、輝かしい、は ず 。